信州の個人的な話

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諏訪明神に降伏した洩矢神(もれやのかみ)とはどんな神様?

今回は洩矢神(もれやのかみ)を紹介します。

 

洩矢神の神話


洩矢神(もれやのかみ)は諏訪地方では良く知られた神様です。「古事記」の神話で出雲から逃げてきたとされる諏訪大社の御祭神で有名な建御名方命(たけみなかたのみこと)が諏訪にやって来る前から、この地を治めていた鎮守神(ちんじゅのかみ)とされています。

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洩矢神は天竜川の川岸から200mほど離れた場所にある洩矢神社(もりやじんじゃ)に祀られています。ひっそりとした小さな住宅街にあり、サッカーコートほどの面積の今でも地元の人たちに大切にされている落ち着いた雰囲気の神社です。

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この神社には洩矢神建御名方命にまつわる神話があります。

神話によると、はるか昔、諏訪の先住の神である洩矢神が住んでいらっしゃった諏訪の地に建御名方命が侵攻してきました。洩矢神は「鉄の輪」を、建御名方命は「藤の枝」を持って戦いますが、建御名方命はその威光と神通力で洩矢神を屈服させてしまいます。その時に使った藤の枝がこの地に根付き、藤の木が生い茂る森となったと伝えられています。現在では藤の木は跡形もありませんが、その場所に藤島神社と呼ばれる小さな祠(ほこら)が置かれています。藤島神社は天竜川を挟んだ対岸に鎮座し、御祭神はこの神話より建御名方命であると言われています。

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<藤島神社>

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しかし敗れはしたもののその後、洩矢神は神事を司る神長官(じんちょうかん)という役職をまかされ、建御名方命に次ぐNo.2として諏訪の開発に尽力しました。氏子たちはその洩矢神のご神威と功績を讃え、藤島神社の対岸に社を建てます。それが今の洩矢神社の始まりとされています。

 

洩矢神の末裔

洩矢神には一男一女がいました。娘は多満留姫(たまるひめ)といって、建御名方命の第二子・出早雄命(いづはやおのみこと)の元に嫁ぎます。諏訪信仰は大祝(おおほうり)と呼ばれる建御名方命を人間におろした現人神(あらひとがみ)を中心に行われる信仰なのですが、この2柱の神様が代々大祝となる諏訪氏の祖神であると言われています。一方、息子は守屋神(もりやのかみ)といい、諏訪氏を支える神長官の役職を世襲で継ぐ守矢氏の祖神とされ、この2つの血統は明治の初めまで諏訪の信仰を支えることとなります。

 

罰当たりな殿様

 

 時代は下って江戸時代。洩矢神社にまつわるもう一つのエピソードがあります。先ほど建御名方命の戦いに使った藤の枝が、この地に根づいた神話を紹介しましたが、江戸時代(寛文年中)になると天竜川両岸に藤が生い茂り、頭上で絡み合うほどになっていました。それを見た諏訪の殿様が蛍見物の邪魔になると、その藤を切り払うよう命じたのです。しかし、藤の木の伝承を知る者たちは神罰を恐れて誰も切り倒そうとしません。すると力自慢の嘉右衛門(かえもん)というものが「山役(やまやく)二人分の役料をもらえるなら私がやります。」と申し出たのです。殿様は承知して、その男に切らせたところ、男は気がおかしくなってしまい、しばらく後に急死してしまいます。さらには命令を下した殿様にも祟りがあったため、お詫びに城内で祠を作らせ奉納をすることになりました。しかし、大きすぎて大手門を出ることができず、仕方なく少し小さく作り直して奉納したのが現在の洩矢神社の本殿と伝えられています。そのため洩矢神社はその後も諏訪の藩主(高島藩主)の崇敬が篤く、明治4年までは例祭を氏子ではなく藩主が行っていた特別な神社として知られていたのです。

 

現在の藤島神社と洩矢神社の間を通る天竜川の様子。当時の面影はないようです。

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若者の人気スポット?

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境内を歩いていると、絵馬に同じ女の子のキャラクターが描かれているものが多いことに気が付きました。そういえば、帰り際にわざわざこの神社にタクシーで乗り付けた大学生くらいの男子2人組を見かけ、どうしてこんなところに若い人がタクシーを使ってまで参拝しに来るのだろうと不思議に思っていました。若い人がわざわざ来るのはこのキャラクターに理由がありそうだと家に帰って調べてみたところ、どうやらこのキャラクターは上海アリス幻樂団という同人サークル(同じ趣味、志をもつ人達によって作られるサークル)でつかわれている洩矢諏訪子(もりやすわこ)という人気キャラクターなのだそうです。たくさんのゲーム、書籍、音楽等につかわれていて、名前からわかる通り諏訪の洩矢神がモデルになっているそうです。ファンの方々が「聖地巡礼」でこの洩矢神社を訪れているということだったようです。全国的には無名だと思っていた地元の神社が思わぬ形で若い人からも愛されていることは、うれしい発見でした。人が集まる神社はパワースポットになります。もっともっと洩矢諏訪子が活躍してくれるように陰ながら応援しております(笑)

 

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せっかく来たなら守矢史料館も行ってみよう

洩矢神の末裔とされ、明治の始めまで諏訪の祭祀を世襲で司ってきた神長官(じんちょうかん)の守矢氏の住居は、現在茅野市の諏訪大社前宮近くにあり、その敷地内には守矢史料館が建てられています。(洩矢神社から車で30分くらいの距離です。)

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守矢史料館。小さい教室2つ分くらいのこじんまりした史料館です。入場料は100円か200円くらいでした。うろ覚えですみません。管理人の方が詳しい人だったので興味がある方は絶対話しかけてお話うかがった方が面白いと思います。


敷地内には御頭御社宮司総社(おんとうみしゃくじそうしゃ)という祠が置かれています。諏訪信仰にはミシャクジ神という正体不明の農耕を司る精霊のような神様が何体もいらっしゃるのですが、洩矢神はその大元締めとされ、今でもこの守矢氏の敷地内でミシャクジ神が祀られているのです。この祠は隠れたパワースポットとして神社好きには有名で、ひっそりとした場所ではありますが今でも参拝者は絶えません。ちなみにミシャクジ神は祟り神としても有名ですので、参拝の際は神様に失礼がないようマナーには細心の注意を払いましょう。

 

 

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敷地内に鎮座する御頭御社宮司総社

 

以上、洩矢神社について調べたことをまとめてみました。諏訪と言えば諏訪大社4社が有名ですが、まだまだ他にも面白い場所がたくさんあります。この洩矢神社も守矢史料館も興味がありましたら、是非足を運んでみてください!

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

洩矢神社や藤島神社の動画も撮ってきました。良かったらこちらもどうぞ。

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洩矢神(もれやのかみ)とは?