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長野県・諏訪湖周辺の水害を歴史から考える。

近年、地球規模の気候変動のためか、河川の氾濫による災害が増え続けています。先日も九州地方で痛ましい被害があり、人命が数多く奪われてしまいました。心よりご冥福お祈り申し上げます。他にも日本各地で水害被害は頻発しており、またどこで何十年に一度と言われる記録的な集中豪雨が発生するかはわかりません。先日の豪雨でも一時間で降水量110ミリという信じられない量の雨が降ったところもあり、もはや日本全国どこに住んでいようと安心な場所はないのではないでしょうか。

 

今回は自分の住んでいる「諏訪湖と水害」の歴史から、昔の人達がどう水と付き合ってきたのかを調べてみました。直接は皆さんと関係ないかもしれませんが、自分の街の水害の歴史を調べてみようなんて思っていただけたら幸いです。

 

 

氾濫と戦ってきた諏訪の先人達

諏訪湖には31の河川から水が流れ込みますが、流れ出るのは天竜川のみです。つまり、天竜川への排水こそが諏訪湖や周辺河川の治水にとって重要なポイントになるのです。下の図をご覧ください。上部の川が天竜川で手前の広い部分が諏訪湖です。真ん中に橋のように架かっているのが、天竜川への放水量を調節している釜口水門です。

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<案内図は公園内掲示物>

 

 

上の図のように、今でこそ水門から湖が目の前に開けて見えますが、かつて天竜川の起点には大きな張り出しがあり、水の流れを阻害していました。

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天正年中(1573~1593)頃、諏訪は豊臣秀吉の勢力下にあり、戦国武将の日根野高吉(ひねのたかよし)に治められていました。日根野は諏訪に高島城を築城しましたが、お堀代わりに諏訪湖を用い、湖と接するような場所に城を建てたため、諏訪湖の水位の上昇による城内への浸水を防ぐ対策が必要でした。そこでより多くの水が天竜川に流れ出るよう、川の前の張り出し部分に堀(満水堀)を造りました。

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これにより切り離された島を弁天島と呼びました。

 

しかし上の図を見ても想像つくと思いますが、満水堀の効果はあまりなく元禄の初め頃(1688年~)には弁天島の中にさらに堀が造られ、浜中島弁天島に分かれます。

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それでも結局、洪水被害は避けられず天保元年(1830年)に浜中島を撤去してしまいます。

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 その後、慶応4年(1868年)には弁天島も撤去され張り出しの部分は完全に姿を消しました。しかし、洪水は続き昭和7年に再び諏訪湖に大洪水が起こります。これを契機に和11年(1936年)、現・水門よりやや下流に旧釜口水門が築営されます。これで諏訪湖の排水量を増すため天竜川の川底を掘り下げても諏訪湖の水位が下がることはなくなり、治水能力をたかめつつ諏訪湖の水を利用する周辺地域の人々の生活も守ることができるようになりました。

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弁天島にはその名の通り、弁才天の祠(ほこら)が置かれていました。弁天島撤去後は近くの湖畔に弁天社が移され、今はそこに祀られています。弁財天様はもともとはインドの水辺の神様。今も湖畔から諏訪湖や天竜川を見守ってくれています。

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 社殿の横にあるのが江戸時代から弁天島に置かれていた祠(ほこら)の実物で、今も境内に残されています。

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そして、下の写真が旧釜口水門です。ごつごつとした雰囲気に味があり、魅力的な昭和建築です。残念ながら、平成4年に取り壊され、半世紀にわたる役目を終えました。今も残っていたらいい観光スポットになってただろうなあ。

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<釜口水門 水の資料室の展示より>

 

手前が現釜口水門で、奥に見えるコンクリートのM字の建物が旧釜口水門の「船通し」です。かろうじてかつての姿を偲ばせます。

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近くに行くとこんな感じで結構大きいです。

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 しかし、旧水門設営後も何度も洪水が起こり、ついに昭和63年(1988年)、現・釜口水門が誕生します。放水量は旧水門の3倍となる毎秒600tまで可能となり、より高度な治水が行われるようになりました。

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現在の釜口水門。天竜川側から撮影。

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諏訪湖側から撮影。

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歩行者用の通路にもなっています。

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手前味噌ですが、降水量が多かった日の釜口水門の様子を撮影してみました。撮影時は毎秒200tほどの排水でしたが、毎秒430tまでは排水量を上げることができます。構造的には最大毎秒600tまで可能ですが、そこまで上げると天竜川の許容量を超えてしまうのだそうです。(平成19年時点の情報)


全開放した釜口水門 長野県岡谷市

 

 

動画にしてみたのでよかったらこちらもご覧ください!

(活舌の悪さはご容赦ください!)


地元民なら知っておきたい釜口水門の歴史(長野県岡谷市)

 

 

これでようやく私たちも安心して暮らせるようになりました・・・と言いたいのですが、それでは果たしてこの後、諏訪から大洪水はなくなったのでしょうか。

実は洪水の回数は劇的に減りましたが、この後も大洪水は起こっています。次回は現代の洪水被害で実際に浸水した地域などを詳しく見ていきたいと思います。

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

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