有楽町の東京国際フォーラムに、即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)のジオラマやその時天皇陛下がお召しになった装束のレプリカなどが展示されていました。なかなか見れないものなので写真を撮ってきました。よかったらご覧ください!
(写真が多くて重くなるので次回と2回に分けてアップします。)
装束の紹介の前に、その装束が使われる儀式「即位礼正殿の儀」について少し紹介します。
まずはこちらをご覧ください。
高御座(たかみくら)
御帳台(みちょうだい)
これは令和のはじめに天皇陛下が即位されたときに行われた「即位礼正殿の儀」で使われた本物の高御座(たかみくら)と御帳台(みちょうだい)で、東京国立博物館で展示されていた時に撮りに行った写真です。高純度の金箔と国産漆で豪華に飾られています。
(高御座の詳細は過去記事があるのでこちらのリンクもぜひご覧ください。)
こちらも同じく東京国立博物館に展示されていた貴重な資料です。
明治維新の後、天皇の即位などを規定する登極令(とうきょくれい)が制定されましたが、その登極令の条文に則った儀式の情景を描いたものが上の絵で、大正4年に描かれた「御即位大嘗祭絵巻(ごそくいだいじょうさいえまき)」です。高御座と御帳台が描かれています。
そしてこちらはさらに古い、江戸時代の天皇の即位式の様子です。
(18世紀 『御即位図(ごそくいず)』)
平成と令和は東京の皇居で行われた「即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)」ですが、それ以前は京都の御所・紫宸殿(ししんでん)で行われていました。上の絵は江戸時代に描かれた紫宸殿に設営された高御座です。皇后の御帳台が造られたのは大正天皇の即位の時からなのでこの絵には高御座しかありません。
そしてところ変わって、こちらが東京国際フォーラムのジオラマ展示です。江戸時代前期の即位式を再現しています。
お待たせしました!ここでようやく天皇の装束登場です!
が、もう少し即位式について紹介させてください。ごめんなさい(笑)この儀式の世界観も装束のデザインにつながっているのです。
上のジオラマ写真の一枚目、見ずらいですが後ろに7本旗が立っているのがわかるでしょうか。先に紹介した江戸時代に描かれた『御即位図』の中にも同じものが描かれているのがわかります。本来は高御座の前の庭に立てられていたものが、ジオラマは見やすいよう後ろに設置しているんですね。
この七本の旗の真ん中にはあるのは 銅烏幢(どううとう)です。幢(とう)とは旗のこと。上に黄金の三つ足のカラスがついて、下に五本垂れ下がっているのは瓔珞(ようらく/偉い人の装身具)です。
三つ足の烏というと「古事記」「日本書紀」出てくる八咫烏(やたがらす)が連想されますが、太古の昔から中国には太陽に棲む「三足烏(さんそくう)」という伝説の烏がいるようで、どうやらそちらがモチーフになっているようです。会場内の説明書きも「三つ足の烏」という表現で、八咫烏の文字はありませんでした。
次は銅烏幢(どううとう)の両脇にある日像の幢(にっしょうのとう)と月像の幢(げっしょうのとう)です。
日像の幢には太陽に棲む三足烏(さんそくう)と思われる三つ足の烏が描かれ、月像の幢には蛙と兎と月桂樹が描かれています。中国には月に蛙(正確にはひきがえる)と兎が棲んでいるという伝承があるので、ここからも大陸の影響を受けたデザインになっていることがわかります。
さらにその外側には四神の旗が並びます。四神とは中国の神話に出てくる四つの方角をつかさどる霊獣で、いわゆる朱雀(すざく)・青龍(せいりゅう)・玄武(げんぶ)・白虎(びゃっこ)の旗です。
この七本の旗を見てもわかるように、天皇即位の儀式にまつわる文化は大陸文化の影響を強く受けているようです。この影響は装束においても同様に見られます。
お待たせしました。こちらが天皇の装束のレプリカです。
上の写真のジオラマの天皇も着ています。
これは「袞冕(こんべん)十二章」と呼ばれる装束です。
あれっと思われた方もいると思います。今回、令和の即位礼正殿の儀で使われた装束と違いますよね。実はこの「袞冕(こんべん)十二章」は平安時代から江戸時代まで使われた天皇の礼服ですが、大陸から輸入された服制のため時代の要請もあり明治天皇即位以降は日本風に改められています。
「袞冕(こんべん)十二章」の袞(こん)は袞衣(こんえ)からきています。袞(こん)とは首を傾げた龍のことで、その袞龍(こんりゅう)が衣の袖に縫い付けてあることから袞衣(こんえ)と呼ばれました。
「袞冕(こんべん)十二章」の冕(べん)は冕冠(べんかん)に由来します。冕冠は板に玉すだれ状の飾りがついた冠です。この冠は奈良時代から使われており、正倉院には聖武天皇の着用した冕冠の部品が遺っているそうです。見たい!
「袞冕(こんべん)十二章」の十二章は衣に刺繍された12種類のシンボルです。これらは『唐書』に書かれた聖王の象徴だそうです。下のパネルで12章が示されていました。
実際のレプリカの刺繍。不敬かくごでいわせてもらうと、なんかかわいい。
北斗七星・龍。しっかり撮れなかったんですが両肩には日像・月像の幢と同じデザインの太陽と月が縫い付けてあります。
雉と火。
虎と猿。
斧とふつ(己字を背反したもの)。
こうして衣装や、祭具をみてみると、私は天皇制を日本神話を起源とした日本独自のものだと思っていたのですが、大陸文化の影響を受け、独自の発展を遂げてきたものだということがわかりました。
ちなみに天皇という言葉も道教の考えに基づいた宇宙の中心である北極星を神格化した称号だとも言われています。天皇の称号が使われたのは天武天皇のころからと言われているので、その頃から皇族の祭祀に中国風のものが融合していったのかもしれません。その辺は今後の勉強の課題になりそうです。
今回のジオラマ展示で思いもよらず大陸文化の影響を知ることができ面白かったです。次回は明治以降、日本風に改められ、令和の即位礼正殿の儀でも使われた天皇・皇后の装束のレプリカをご紹介します!
最後までご覧いただきありがとうございました!
続きはこちら→装束展示②