神様との縁を深くする!知識で楽しむ神社と遺跡の歩き方。

神社参拝や各地の旅行が楽しくなる情報を集めています。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村

朝敵となった日本三大悪人・道鏡とは何者か。

日本では天皇の敵になると朝敵と呼ばれ、悪人にされてしまうという文化があります。そういう意味で日本3大悪人と呼ばれる人たちがいます。それが道鏡、平将門、足利尊氏です。

 

今回は道鏡について調べてみました。

 

道鏡は700年頃大阪府八尾市で生まれました。若いころから仏教の高僧の弟子になり、サンスクリット語を学んだりして、宮中に入れるほどの高い地位の僧侶になります。

 

女性天皇の孝謙天皇(こうけんてんのう)の時代。藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)が実質的な権力を握り、孝謙天皇から自分の操り人形になる淳仁天皇(じゅんにんてんのう)に皇位を継がせ、孝謙天皇は孝謙上皇に、自分は太政大臣になります。そして、天皇しか持てないはずの貨幣鋳造権をもったりと権力をほしいままにします。その後、平城京の改築で孝謙上皇は滋賀県に一時居を移すことになりましたが、そこで体調を崩し床に臥すことになります。

 

おそらく、女性天皇だということで男ばかりの貴族たちの心をなかなか掌握できず、体も病気で動かないということで、情熱も自信も失っていたのではないでしょうか。そんな時に看病役にあてられたのが道鏡です。病気から快復した孝謙上皇は祈祷の力で病気を治してくれたと以後道鏡を寵愛するようになります。病気を治してくれたのはもちろん、その後の孝謙上皇のメンタル的な支えになっていたのではないかと想像します。

近づきすぎた二人の関係に淳仁天皇は仲麻呂に言われ意見していたので、孝謙上皇と淳仁天皇の間には大きな溝ができてしまいます。今でもたまに芸能人が心が弱ってる時にそういう怪しげな占い師とかメンタルトレーナーとか整体師とかの言いなりになって、突拍子もない行動に出たりしますよね。それで周りから離れるように言われるとより親密になり周りを排除していく関係。何かそれと同じようなにおいがします。

 

孝謙上皇は病気から回復し、宣言します。「今の帝は常の祀りと小事を行え、国家の大事と賞罰は朕が行う」と。つまり、もう一度自分が最高権力を持つということを宣言したのです。だいぶメンタルが復活しているのがわかりますよね。権力を奪い取られた仲麻呂は当然納得できません。反乱を起こし武力で権力を奪い返そうとします。しかし、その乱は鎮圧され仲麻呂は首を切られてしまいます。

 

ではその後誰が仲麻呂に代わり太政大臣になったのでしょう。それが道鏡なのです。道鏡は出家のまま太政大臣禅師となり、翌年には法王(仏教の最高指導者)となり、仏法に基づいた政策を推し進めるようになります。天皇と同じ輿に乗れたり、食べ物も同じものを食べれたりと、待遇はほぼ天皇と同じところまで昇りつめてしまいます。淳仁天皇は仲麻呂と関係が近かったことで責任を取らされ廃位に追い込まれ、孝謙上皇は重祚(ちょうそ/再び皇位につくこと)し、称徳天皇(しょうとくてんのう)を名乗ります。

 

道鏡の弟(弓削浄人/ゆげのきよひと)をはじめ道鏡の一門はどんどん貴族に召し上げられ、他の貴族の不満はたまっていきます。そんな時に起こったのが「宇佐八幡宮神託事件」です。

 

宇佐八幡宮の神主が「道鏡を天皇にすれば天下太平になりますよ」と神託がくだったというのです。日本史で神託で政治を決めていたみたいな話は聞いたことないのでこれが当時でも特異なケースだということは想像できます。

 

なぜそんな話が出て来たかというと、先ほど出てきた道鏡の弟、弓削浄人(ゆげのきよひと)は当時大宰帥(だざいのそち)という役職で宇佐八幡宮を管轄していたのです。たまたま弟の管轄の神社からそんな神託が突然届くって、どう考えてもおかしいですよね(笑)

 

普通なら疑ってもいいはずですが、道鏡の権力にひれ伏す貴族たちは何も言いません。洗脳されていたのかもしれないほど道鏡を信じ切っていた称徳天皇(孝謙天皇)は神託を真に受け皇位を譲ろうとも思います。しかし、それでもさすがに天皇の血統を断絶するなんてことしていいのかと思い悩みます。そこで、和気清麻呂(わけのきよまろ)に本当にそういう神託があったのか宇佐八幡に行って確かめてきてほしいと命じるのです。清麻呂としては出来レースに参加するような気持だったのではないでしょうか。

 

清麻呂はおそらく周りの貴族たちの不満を一身に感じて、宇佐八幡宮に向かったのではないでしょうか。神主に確認するとやはり、「道鏡を天皇にすべし」といわれたというのです。清麻呂は刀を抜いて押し付け、嘘はないなと迫ります。その迫力に圧倒され神主は嘘ですと言ってしまうのです。清麻呂は宮中に帰り、「やはり天皇は天皇の血統が継ぐべきで無道のもの(道鏡のこと)は追放するべきだと言ってました」と称徳天皇に報告します。称徳天皇も判断を迷ってはいたものの大好きな道鏡を追放しろとまで言われてしまったので、清麻呂に「追放しろというのは私情をはさんでいるだろ」と立腹し、清麻呂は足の腱を切られ、名前を穢麻呂(きたなまろ)に変えられ鹿児島に飛ばされてしまいます。

 

清麻呂はいなくはなりましたが、称徳天皇は「天皇は皇室の血統のものが継ぐ」と宣言し道鏡が皇位を継ぐことはかないませんでした。翌年、称徳天皇が亡くなると、道鏡は下野薬師寺別当にあっけなく左遷されてしまいます。(そのお寺は現在はなくなっており、資料として塀の一部が復元されているだけです。)772年その赴任地の下野国でなくなります。生まれた年が700年ぐらいとされてますので、正しければ享年72歳です。栃木県下野市の龍興寺境内に道鏡の墓と伝えられる塚があります。

その後、道鏡の弟・浄人をはじめ親族4名は捕縛され、高知県に島流しにされました。

 

下種な噂(R18です)

これだけ親密だった道鏡と称徳天皇なので、世間は好奇の目で見たのは言うまでもありません。二人は姦通していたとか、「道鏡は 座ると膝が 三つでき」なんて川柳も読まれたほど、男性器が大きく孝謙天皇がとりこになっていたとか、さまざまな噂が後年ささやかれました。ただ、根拠は薄く、明確な証拠はないようです。

 

熊本市に道鏡と孝謙天皇が祀られてる弓削神社という神社もあるようなんですが、男根をモチーフにした像がおいてあったり、男根、女陰型の木が納められ、子授けや夫婦和合にご利益があるとされていたり、そこにくぎをたくさん打ちつけて浮気防止の祈願をして納める風習があったりと、そういう下ネタに絡めた神社になっているようです。でも、なんで熊本なのかもわからないし、別に道鏡と孝謙天皇は夫婦でもないし、子供がいたわけでもないし、個人的な印象としてはなんか噂からこじつけているようにも感じます・・・。 

 

 

まとめ

道鏡は宇佐神宮の神託さえなければ孝謙天皇の方針で政治にかかわったわけだし、もしかしたら道鏡の弟が自分がこんなに偉くなれたのは兄のおかげだとして、兄を天皇にしてやろうと変な気を利かせた可能性もあるんじゃないかなとも思いました。和気清麻呂に宇佐八幡宮からいい知らせを持ってきたら大臣にしてやるとそそのかした話や、清麻呂流刑の後を追って命をねらった話なども後年の悪役のイメージから付け加えられた逸話かもしれないと疑ってもみました。

でも、さすがに気づきますよね。

弟が太宰府で長官して、そっちからそんな神託の話し来たら、あっ、あいつやってるなって思いますよね。やっぱ権力が手に入ると、欲が出てくるんですかね。

ただ、すぐに失脚しているところから見ると、やはり、悪だくみをして何とか権力にしがみつこうと色々工作するようなずる賢さは持ち合わせなかったのかなと思います。ただ最後の最後で欲が出ちゃったのかもしれないですね。

 

だいぶ私見が入り込んでしまいましたが、私の中では道鏡は大体こんな人物像です。神社巡りをしてこの名前に出会ったときに少しでも参考にしていただけたら幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました!