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戦前の10円札は誰の肖像画?そうです。和気清麻呂です。って誰でしたっけ?

 皇居の周りを散策していると工事中の衝立のその先に銅像が立っていました。

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背伸びして中を映してみるとこんな感じでした。

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きっと誰でも知ってる有名人なんだろうと思って案内板を見て確認。

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はいはい、和気清麻呂(わけのきよまろ)ね。

 

 

って誰でしたっけ?皇居の外周に置かれている銅像は楠木正成公とこの方だけです。どれだけ皇室にとって重要な人物だったかがわかりますが、恥ずかしながら聞いたこともなかったので気になって調べてみました。

 

和気清麻呂(わけのきよまろ)は奈良時代末期の岡山出身の豪族です。後に朝廷に仕え、長岡京の建設中止を進言し、平安京建設の責任者となり手腕を振るった人物です。タイトルにもあるように戦前の十円札にはこの人の肖像画が描かれていました(実際の顔はわからないので想像で描かれたようです)。しかしこれだけだとなぜ銅像にまでなっているのかいまいちピンときません。この方にはあるすごい武勇伝があるのです。

 

 

天皇家危うし! 道鏡事件

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このころの天皇は称徳天皇(しょうとくてんのう)という女性の天皇でした。彼女は重い病気にかかって床に伏してしまうのですが、祈祷で道鏡(どうきょう)という僧がその病を治してしまいます。それからというもの称徳天皇は道鏡に厚い信頼を寄せるようになります。称徳天皇は亡き父親の聖武天皇の意向を継ぎ、仏教を中心とした国づくりを目指していました。そこで道鏡を法王(仏教の王)の位につけ、二人で国を治めていく体制をとり、道鏡は天皇と同じ扱いを受けるほどの立場になっていきます。

 

道教の調略か、その周りの貴族たちの調略か今になってはわかりませんが、宇佐八幡宮から神の神託があったという話しが称徳天皇の耳に入ります。その神託とは「道鏡が天皇になれば、天下は太平になる」というものでした。ちなみに当時、宇佐八幡宮は太宰府の管轄でしたが太宰府の長官は道鏡の弟でした。推して知るべしですよね。道鏡は喜びますが、称徳天皇は道鏡を信頼しつつも天皇家の血筋を自分で絶ってしまっていいものか思い悩みます。そこで和気清麻呂(わけのきよまろ)を使いに選び、宇佐八幡宮にその神託は本当か今一度確認してこいと命じます。その際、道鏡はいい知らせを持ってくれば大臣にしてあげようと和気清麻呂をそそのかしたといいます。

 

 

和気清麻呂の生き様!

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清麻呂は大分県の宇佐八幡宮を訪れ、その神託を確認すると、やはり神主は道鏡を天皇にしろとの神託が出ましたと答えます。そこで清麻呂はいきなり刀を抜き、その言葉に嘘はないなと神主に迫りったところ、神主は、いえ、天皇は皇族が継ぐべきです・・・とその発言を覆してしまったのです。

 

清麻呂は帰京して天皇に「八幡様は天皇は皇族から選ばれるべきで、無道のもの(道鏡)は追放するべきだとおっしゃっていました。」と伝えました。道鏡を近くに置いておきたい称徳天皇は、「自分の思いを神託を口実に述べるな」と清磨呂に激怒し、分部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と名前を変えて、足の腱を切り歩けなくさせたうえ、鹿児島に島流しにしてしまったのです。その移動中に道鏡は刺客を放ち、清麻呂を暗殺しようとしますが天候が悪く見逃してしまったそうです。

 

清麻呂はいなくなってしまいましたが、その報告のおかげで称徳天皇は道鏡を天皇にはさせない旨の宣言をし、道鏡が皇位を継ぐという事態は免れました。翌年に称徳天皇は崩御してしまい、後ろ盾を失った道鏡はすぐに失脚し栃木県の下野薬師寺(しもつけやくしじ)に左遷されてしまいます。逆に清麻呂は京に戻され、再び重要な地位につき、冒頭で述べたような業績を成し遂げるに至りました。

 

和気清麻呂像は1940年に建てられたものですが、皇族の系統が途絶えてしまうかというその時に、自分の出世や身の安全を顧みず、正しいと思う選択を貫き通し皇室を守ったその姿を忠臣の鑑として、今も皇居外周にこの像が建っているのです。

 

清麻呂のことを勉強したので、次行くときはこの像を最初とは違う気持ちで眺められそうです。工事中じゃないことを願います・・・(笑)

 

 

 

和気清麻呂の祀られる神社

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 1851年江戸時代の末期に和気清麻呂の功績をたたえ天皇から護王大明神の神号が贈られ、清麻呂を祀っていた廟は護王神社と改称されます。京都府京都市上京区に鎮座します。

また、出身地・岡山県和気町の和気神社、流刑先・鹿児島の和気神社、神託を確かめに行った宇佐八幡宮の境内の護皇神社などゆかりのある各地で祀られています。

 

和気清麻呂が祀られている神社では狛犬の代わりにイノシシが神の使いとされています。これには伝説があり、清麻呂が流罪で鹿児島へ輿で移動している途中、八幡神に挨拶しようと宇佐八幡を目指していたのですが、大分に入るとイノシシ300頭が突然現れ輿を囲み、宇佐八幡宮への道を案内してくれたというのです。参拝を終えると腱を切られ動かなかったはずの足が治って歩けるようになったと伝えられます。

 

 

 

 

まとめ

 いかがでしたか?戦後、私たちは軍国主義につながる、このような尊王の心を持つ人物を学ばないようにGHQなどに仕向けられてきたのだと思います。学校で教えてもらってないですよね。お札にもなった人のことを習わないなんて不自然だと思います。(ちょっとは記載があるのかもしれませんがそれほど大きくは扱われてないはずです。ただの勉強不足だったらすみません・・・。)

こういった人物たちの歴史は大人になってから自分で学ぶしかないのです。大人になってからの自分でする勉強ってあらためて大事だなと感じさせられました。和気清麻呂。覚えておきたいです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!