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平成18年諏訪湖洪水の被害状況。~釜口水門の状況をリモートでチェックしてみよう!~

 こちらは前回の記事です。

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前回は釜口水門ができるまでの諏訪湖と洪水の歴史を見てきました。今回は現・釜口水門ができてからの洪水について見ていきたいと思います。

 

 

 

23年ぶりの大洪水

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上の図は江戸時代から大洪水が起こった年をまとめた表です(「水の資料室」掲示物)。現・釜口水門ができたのが昭和63年ですので、その後諏訪湖が氾濫したのは平成18年の一回だけだったことがわかります。

 

平成18年7月17日~19日の3日間にわたる豪雨で総雨量400ミリに達し、諏訪湖が想定していた水位を超えてしまい23年ぶりの大洪水がおこりました。2541戸が浸水し、JR中央本線、国道20号線も37時間に及び全面通行止めになり、さらには天竜川の流域でも堤防決壊による被害が生じてしまいました。

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市街地をベージュ、浸水地域をオレンジ色で表してみました。諏訪市は平坦な地形な上にたくさんの河川が諏訪湖に向かい流れ込んでいるため、諏訪湖の水位が上がり逆流し、川が溢れてしまっています。

 

この洪水の後、逆流防止の水門を設置したり、河川の掘削を行ったりして、再び同じ雨量の豪雨に襲われても大丈夫なように大規模な治水工事が行われました。しかし、先日の九州地方の集中豪雨では数日間で総雨量1000㎜を大幅に超える雨量が観測されています。(平成18年の諏訪の豪雨では総雨量400㎜)あのような雨が諏訪に降れば今まで経験したことのない被害が広がることは間違いないでしょう。地震と同じように起こることを前提に行動しておいた方がよさそうです。地元の方は地域のハザードマップの確認したり、浸水に対する防災知識を身に着け、何が必要か考え、備えは万全にしておきましょう。

 

釜口水門の「水の資料室」に昭和58年の洪水時の写真がありました。(ブログ掲載可能か確認済)平成18年の写真はなく、現在の水門ができる前の写真ですが、参考までに載せておきます。

 

北沢美術館前

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こちらは諏訪市の平坦な地域の浸水被害の様子。

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 釜口水門を観察する

釜口水門の様子は長野県のホームページから自宅で観察できます。静止画ですが、10分間隔で更新されます。こちら→釜口水門管理システム

 

ここで表示されているデータ2つだけです。

・湖水位

・放流量

こちらも10分毎に更新されます。この二つの数値の意味が分かるとかなり水門に愛着がわいてきます。以下で説明していきますのでぜひご覧ください。

 

 

湖水位について

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標高758.045m地点を水位0mとして以下の水位が設定されています。

 

計画高水位(けいかくだかすいい)(2.20m)・・・堤防を造る際、洪水に耐えられる水位として設定される最高水位。この数値に近づくとかなりマズイ。

 

・常時満水位(1.10m)・・・普段、諏訪湖に貯水できる最高水位。渇水や洪水の時期以外は常時この水位が保たれる。

 

制限水位(0.75m)・・・洪水期(一般に6~9月)に多くなる雨量に備えて普段より低下させておく基準水位。

 

計画最低水位(0.50m)・・・諏訪湖を運用する上での最低水位。これ以上下がると利水に弊害が出てきます。

 

上の表の数値とサイトの数値と見比べてみてください。しっかり管理されていることが確認できます。ちなみにこちらの数値はあくまで参考です。あらゆる事態に対応できるよう避難指示や警報が出たら早めに避難してしまいましょう。避難所などは地域の災害ホームページでも確認できます。

 

 

 

放流量について

放流量は毎秒何立方メートル(㎥/s)の水が放流されているかで表示されています。一立方メートルは1トンの水と考えると分かりやすいです。

釜口水門の放流は最大で毎秒600tが可能ですが、天竜川の護岸設備が耐えられる量としては毎秒400tが限界でした。平成18年の大洪水の後、天竜川の治水工事も行われその後は毎秒430tまで放流が可能となっています。

 

下の写真は「水の資料室」に展示されていた平成18年の洪水時の釜口水門の様子です。左下に小さく書かれていますが、毎秒405tの放流をしている瞬間です。この時は天竜川流域でも堤防の決壊が起こりましたが、数値上からも許容範囲を超えてしまっていたのがわかります。

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前回も貼りましたが放流量が普通の日と多い日で比較しているので、見てない方はよかったらご覧ください。


全開放した釜口水門 長野県岡谷市

興味がある方は長野県が雨の日にぜひサイトから放流量がどのくらいになっているか確認してみてください。

 

以上、平成18年大洪水と釜口水門の能力についてまとめてみました。諏訪湖と釜口水門の状況をサイトでチェックして愛着がわいてきたら是非実物を見に来てください!

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

長野県・諏訪湖周辺の水害を歴史から考える。

近年、地球規模の気候変動のためか、河川の氾濫による災害が増え続けています。先日も九州地方で痛ましい被害があり、人命が数多く奪われてしまいました。心よりご冥福お祈り申し上げます。他にも日本各地で水害被害は頻発しており、またどこで何十年に一度と言われる記録的な集中豪雨が発生するかはわかりません。先日の豪雨でも一時間で降水量110ミリという信じられない量の雨が降ったところもあり、もはや日本全国どこに住んでいようと安心な場所はないのではないでしょうか。

 

今回は自分の住んでいる「諏訪湖と水害」の歴史から、昔の人達がどう水と付き合ってきたのかを調べてみました。直接は皆さんと関係ないかもしれませんが、自分の街の水害の歴史を調べてみようなんて思っていただけたら幸いです。

 

 

氾濫と戦ってきた諏訪の先人達

諏訪湖には31の河川から水が流れ込みますが、流れ出るのは天竜川のみです。つまり、天竜川への排水こそが諏訪湖や周辺河川の治水にとって重要なポイントになるのです。下の図をご覧ください。上部の川が天竜川で手前の広い部分が諏訪湖です。真ん中に橋のように架かっているのが、天竜川への放水量を調節している釜口水門です。

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<案内図は公園内掲示物>

 

 

上の図のように、今でこそ水門から湖が目の前に開けて見えますが、かつて天竜川の起点には大きな張り出しがあり、水の流れを阻害していました。

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天正年中(1573~1593)頃、諏訪は豊臣秀吉の勢力下にあり、戦国武将の日根野高吉(ひねのたかよし)に治められていました。日根野は諏訪に高島城を築城しましたが、お堀代わりに諏訪湖を用い、湖と接するような場所に城を建てたため、諏訪湖の水位の上昇による城内への浸水を防ぐ対策が必要でした。そこでより多くの水が天竜川に流れ出るよう、川の前の張り出し部分に堀(満水堀)を造りました。

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これにより切り離された島を弁天島と呼びました。

 

しかし上の図を見ても想像つくと思いますが、満水堀の効果はあまりなく元禄の初め頃(1688年~)には弁天島の中にさらに堀が造られ、浜中島弁天島に分かれます。

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それでも結局、洪水被害は避けられず天保元年(1830年)に浜中島を撤去してしまいます。

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 その後、慶応4年(1868年)には弁天島も撤去され張り出しの部分は完全に姿を消しました。しかし、洪水は続き昭和7年に再び諏訪湖に大洪水が起こります。これを契機に和11年(1936年)、現・水門よりやや下流に旧釜口水門が築営されます。これで諏訪湖の排水量を増すため天竜川の川底を掘り下げても諏訪湖の水位が下がることはなくなり、治水能力をたかめつつ諏訪湖の水を利用する周辺地域の人々の生活も守ることができるようになりました。

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弁天島にはその名の通り、弁才天の祠(ほこら)が置かれていました。弁天島撤去後は近くの湖畔に弁天社が移され、今はそこに祀られています。弁財天様はもともとはインドの水辺の神様。今も湖畔から諏訪湖や天竜川を見守ってくれています。

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 社殿の横にあるのが江戸時代から弁天島に置かれていた祠(ほこら)の実物で、今も境内に残されています。

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そして、下の写真が旧釜口水門です。ごつごつとした雰囲気に味があり、魅力的な昭和建築です。残念ながら、平成4年に取り壊され、半世紀にわたる役目を終えました。今も残っていたらいい観光スポットになってただろうなあ。

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<釜口水門 水の資料室の展示より>

 

手前が現釜口水門で、奥に見えるコンクリートのM字の建物が旧釜口水門の「船通し」です。かろうじてかつての姿を偲ばせます。

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近くに行くとこんな感じで結構大きいです。

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 しかし、旧水門設営後も何度も洪水が起こり、ついに昭和63年(1988年)、現・釜口水門が誕生します。放水量は旧水門の3倍となる毎秒600tまで可能となり、より高度な治水が行われるようになりました。

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現在の釜口水門。天竜川側から撮影。

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諏訪湖側から撮影。

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歩行者用の通路にもなっています。

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手前味噌ですが、降水量が多かった日の釜口水門の様子を撮影してみました。撮影時は毎秒200tほどの排水でしたが、毎秒430tまでは排水量を上げることができます。構造的には最大毎秒600tまで可能ですが、そこまで上げると天竜川の許容量を超えてしまうのだそうです。(平成19年時点の情報)


全開放した釜口水門 長野県岡谷市

 

 

動画にしてみたのでよかったらこちらもご覧ください!

(活舌の悪さはご容赦ください!)


地元民なら知っておきたい釜口水門の歴史(長野県岡谷市)

 

 

これでようやく私たちも安心して暮らせるようになりました・・・と言いたいのですが、それでは果たしてこの後、諏訪から大洪水はなくなったのでしょうか。

実は洪水の回数は劇的に減りましたが、この後も大洪水は起こっています。次回は現代の洪水被害で実際に浸水した地域などを詳しく見ていきたいと思います。

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

続き

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餅をつけられたり穴をあけられたりする道祖神の悲哀

私の住んでる地域では街中を歩いていると道祖神(どうそじん)をよく見かけます。昔は気にもとめてませんでしたが、年齢とともになぜか年代を感じさせるあの古めかしい見た目と荒い造形にひきつけられてしまいます。気になって調べてみました。ご興味ある方は是非ご覧ください。

 

 

 

 

道祖神は何の神様か?

最初は村から出ていく者の旅の安全を願ったり、村に疫病が入ってこないよう祈るための村の守り神だったようです。次第に五穀豊穣縁結び・夫婦和合・子孫繁栄など多岐にわたってご利益が信じられ、また、道祖神の置かれている場所は子供の遊び場所となっていることが多かったことから子供達の守り神としても信仰されるようになっていきました。

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よく見かける男女寄り添う像(双体道祖神)<長野県松本市>

 

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石碑タイプも多いです。<長野県千曲市>

 

 

道祖神はどこに置かれているの?

道祖神は関東・甲信越地方に多く見られます。(特に長野県安曇野市は道祖神の数の多さで有名です。)村の中心や村の境界、三叉路(さんさろ/三つに分かれた道)や辻などに置かれていました。ちなみに私の住んでいる地域周辺では宅地開発・道路の拡張などで道祖神は移動を余儀なくされ、神社などの公共地にまとめて置かれており、本来置かれていた場所が既に分からなくなっています。もしかしたら市街地ではどこもこういうケースが多いのかもしれません。

 

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 いろいろな場所から集められてきた道祖神、馬頭観音、庚申塔など。

 

 

 削られていく道祖神

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道祖神 <長野県岡谷市>

 

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こちらは馬頭観音。<長野県岡谷市>

 

上の写真の道祖神と馬頭観音の上部がくぼんでいるのがわかるでしょうか。長野県諏訪周辺ではこのようなに穴の開いた道祖神も数多く見られます。これは子宝を願って棒でつついた跡が穴になったものです。この地域では「コンボータ、コンボータ」と大きな声をだしながら男児を、「コンボーメ、コンボーメ」といって女児を願って道祖神をつつくという風習があったそうです。つつく場所は決まっておらず、顔の真ん中が削れている道祖神もあるようです。なぜ棒でつつくのかはわかりませんが、棒でつつくという行為と子作りとを連想させていたのかもしれません。

 

ちょっと話は変わりますが、長野県千曲市法華寺の「鼻取り地蔵」は日照りになると

お堂から引きずり下ろされ五十里(いかり)川の念仏土井(どい)に放り込むという雨乞いの風習があったそうです。実物は見れませんでしたが、そのせいでお地蔵さんの鼻や両手はかけてしまっているのだとか。先ほどの道祖神といい、このお地蔵さんといい虐げられながらその神通力を発揮することを強要されています。なんだかかわいそうでもありますが、この地域密着型の神様達の心根の優しさが伝わってきて、恐れながら非常に愛着がわいて温かい気持ちになります。

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餅を張られる道祖神

私自身は一度も見たことはありませんが道祖神には餅などが塗り付けられていることがあるそうです。というのも、10月は神無月と言って、日本中の八百万の神様達が出雲に集まるために出かけてしまうのですが、道祖神様は参加の資格がないからと神様達に留守番を任され、自分たちがいない間に村に何かあったら報告しなさいと言われていたそうです。それを知った村人たちは村の事件をいちいち報告されてはたまらないと道祖神の顔や口に餅やぼた餅を塗り付ける風習が生まれました

ここまでくるとただの嫌がらせのような気もしますが、それでもバチをあてない優しい神様なんですね。

 

 

 

 道祖神のお祭り

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各地で1月14、15日頃に行われるどんど焼きは道祖神のお祭りとされる地域が多いです。(地域で呼び名は違います。)道祖神様が子供の守り神とされることから子供のお祭りとされる地域も多く、上の写真のような縁起物を燃やし、その火で餅や団子を焼き食べ無病息災を祈ったり、書初めを燃やしそれを炎で高く舞い上げ書道が上達することを願ったりします。

私自身も子供の頃、枝の先に色とりどりのお団子をつけて焼いて食べた遠い昔の記憶が思い出されます。

 

日本三大火祭りに数えられる長野県の「野沢温泉道祖神祭り」もどんど焼きのひとつです。こちらは子供の祭りではなく、勇猛な氏子達のお祭りです。その火柱は天にも昇るようで圧巻。近年では外国人からの人気が非常に高く、多くの方が海外から訪れるそうです。YouTubeで見つけたので載せておきます。


日本一の火祭り<野沢温泉の道祖神祭り>2018・4K

この祭りはまだ行ったことがありませんが必ず行ってみたい!

他にもオコト八日と言われる12月8日、2月8日にも各地で道祖神にまつわる色々な祭りが行われているようです。気づいていないだけで意外に道祖神にかかわるお祭りが身近にたくさんあるのかもしれません。興味のある方はお近くの地域のお祭りを調べてみてはいかがでしょうか。

 

 

以上道祖神についてまとめてみました。長野県中心の情報になってしまい、もしかしたら各地に全く違う伝承があるかもしれません。その時は各地域の風習を比べてみるのも面白いと思うのでご容赦ください(-_-;)

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

茅の輪(ちのわ)くぐりの由来とは?

 6月後半になると下の写真のような「茅の輪(ちのわ)」をよく見かけます。参拝作法は神社によっては案内掲示があるので知っている方も多いと思いますが、由来まではなかなか知る機会がないと思います。よかったらご覧ください。

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2019年6月 日枝神社(東京都千代田区永田町)

 

 

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2018年1月 市谷亀岡八幡宮 (東京都新宿区市谷)

 

 

 

茅の輪(ちのわ)くぐりとは?

「茅の輪くぐり」とは茅(かや)などの植物で作った「茅の輪」をくぐることによって、心身を祓い清め、厄除け、無病息災などを祈願する儀式です。

神社では6月と12月の末日に世間万民の罪穢れを清めるため祓(おおはらえ)」の神事を行います。6月の大祓は「夏越の祓(なごしのはらえ)」とも呼ばれ、その前後に境内に「茅の輪」が設置されています。また神社によっては12月の大祓の時にも設置するところがあるようで、上の写真の亀岡八幡宮も1月に撮影したものです。

 

 

茅の輪の由来とは?

この「茅の輪」は祇園祭りで有名な八坂神社(京都)の御祭神・牛頭天王(ごずてんのう)の逸話に由来があるようです。牛頭天王は釈迦が説法を行ったといわれる祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神ですが、日本ではスサノオノミコトと同一神とされています。

 

牛頭天王には次のような説話があります。

「南方の国に嫁を貰いに旅をしていた武塔神(むとうしん/牛頭天王のこと)が、一晩泊る宿を探していました。村に近づくと武塔神は旅人の姿に化身し、裕福そうな家を見つけ、主人の巨丹(こたんに宿をお願いします。しかし、無碍に断られてしまい、仕方なく粗末な家でしたが巨丹の兄・蘇民将来(そみんしょうらい)の家の戸口を叩き、泊めてもらえないか尋ねました。すると、蘇民将来は快く了承し、貧しいながらも粟飯で精一杯もてなしてくれたのです。

数年後、嫁を娶り子をなした武塔神が再び蘇民将来の前に現れ、自分が神であることを明かします。そして、かつて一晩泊めてくれたお礼に「茅(ちがや)で作った輪を身に着け、蘇民将来の子孫であると唱えれば無病息災が約束されるだろう。」と除難の法を授けて立ち去っていきました。言われた通りにやってみるとそれ以来、蘇民将来とその子孫達は村中が飢饉や疫病で苦しんでいるときも、その災厄を免れることができたと伝えられています。」

 

牛頭天王に関する 似たような説話は全国各地にあるようですが、話の流れはだいたい同じです。この話しの中で除難の法につかわれた「茅で作った輪」が茅の輪の由来で、はじめは小さい物をつけたり、あるいはフラフープのようにひとりずつくぐらせたりする風習だったそうですが、江戸時代には現在のように歩いてくぐるような大きなものが文献に見られるようになったそうです。この無病息災の儀式が大祓の神事と融合し、現在のスタイルになっています。

 

この「蘇民将来」の話は各地で語られ、岩手の裸祭りで有名な「蘇民祭」の由来にもなっていますし、伊勢周辺などでは玄関のしめ縄に蘇民将来という木札をつけて飾るところがあるのですが、それは「蘇民将来の子孫なので厄災を近づけないでください」と祈願する風習なのだそうです。

蘇民将来は全国各地で無病息災のシンボルとして親しまれています。

 

 

茅の輪のくぐり方

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くぐり方の図を作成する技術がないので、亀岡八幡宮の写真を無理やり引き伸ばしました(笑)この写真のように∞の形に茅の輪をくぐります。左右左と計4回くぐるのが一般的ですが、神社により回数や順番が違ったり、そもそも回り込めないよう両脇がふさがれていて、ただくぐればいいだけのところもあります。写真のように案内があればいいですが、何もなくて両脇が回り込めるようなら一般的な作法でいいと思います。また茅の輪をまたぐときは、その度ごとに一礼をするのが正式な作法のようです。

 

 

 

以上、「茅の輪くぐり」の由来などについてのレポートでした。知ってからくぐるとまた気分が違ってくるのではないでしょうか。上半期の穢れを落とし、新たな自分で残り半年健やかに過ごしましょう!

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

朝一杯の白湯がなぜ身体にいいのか。

前回アーユルヴェーダ的朝習慣の舌磨きを紹介しました。今回はもう一つの朝習慣、白湯を一杯飲むことの効能についてまとめてみました。ご興味ある方はご覧ください。

 

前回の記事はこちら↓

 

 

 

 

 

 

白湯(さゆ)とは何か。

 

水道水から白湯を作るには10分以上沸騰させ、しっかり塩素を飛ばすのがいいです。ただ、そこまでこだわると毎日続かないという方は電気ケトルで沸かすのが手間がかからず便利です。(夏は温かい白湯を飲むと汗をいて、逆に水分を失ってしまうので常温くらいまで冷ましても大丈夫です。)

 

↓うちはこういうの使ってます↓

よくないとされるのは沸騰させずに中途半端に温めたぬるい水や、水道水で割って冷ましたものを飲むことです。

 

江戸時代、福岡藩の藩医にもなった儒学者・貝原益軒(かいばらえきけん)が八十四歳の時に書いた健康指南書『養生訓』の中でこう言っています。

湯は熱いのを冷まして、ちょうどよくなった温度のときに飲むのがよいです。半沸きの湯を飲むと、腹がはります。

(『新訳 養生訓  編訳・蓮村誠)

完全に沸かしたものでないと体が水分を吸収しくいということでしょう。

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Wikipediaより転載

「貝原益軒像」

 

また、アーユルヴェーダでは人間の体はカパ(・地)、ピッタ(・水)、ヴァータ(空・風)という3つの体内エネルギーのバランスで生かされていると考えます。にかけ沸騰させ空気を含んだ白湯は、体のエネルギーを調和させるのに最適な飲み物となります。そのため、アーユルヴェーダでは薬を飲むときや、新生児・お年寄りなど体が弱い人の水分補給に白湯が使われるのです。やはりここでも、ただぬるい水を飲めばいいわけでなく、いったん沸騰させたものを冷まして飲むことを薦めています。

 

 

 

朝一杯の白湯の効果

 朝、起きたばかりの人間の体温は一日で最も低くなっています。一杯の白湯を飲み身体を内から温めることで、血行を促進させ、消化の力を高め、内臓の働きを目覚めさせることができます。

 

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・デトックス効果

白湯は不純物が入っていないので水分を体内に吸収しやすく、尿による毒素の排出を促します。また、胃の中に重みが加わることにより「胃結腸反射」という反応が起こり、胃腸の蠕動(ぜんどう)運動を促します。その結果、便意につながりますし、水分で便が柔らかくなるのでお通じにも良いのです。

 

このように体の毒素をきちんと排泄し、腸内をきれいに保つことで他にもいろいろな効果が期待できます。なぜなら腸は食べ物の栄養素を吸収し、その栄養を血液に乗せ、体の隅々まで運んでくれる働きをしているからです。どんなに栄養があるものを食べても腸をきれいにしておかないと栄養は吸収されません。栄養素なしでは他の臓器や器官も正常に働けないのです。必要な場所に必要な栄養素が届き、エネルギーが効率よく動き出してこそ健康でいられるのです。

例えば白湯を飲む習慣で以下の効能がよく挙げられます。

・ダイエット効果

・むくみの解消

・冷え性改善

・美肌効果

これらは必要な場所に栄養素が届き、身体が正常に動くようになれば当然起こりうる結果と言えます。

 

さらに

・水分補給

歳を重ねるほど水分を摂ること自体が重要な意味を持つようになります。人間の60%は水でできていると言われますが、年齢とともにその水分量は減っていきます。骨、髪、筋肉、脳、血液など体を作る細胞はすべて水分で維持されているので、水分の不足は老化を早める要因の一つになると言われています。就寝中は水分補給ができないので、翌朝が一番体が脱水しやすい状態にあります。だから、吸収されやすい白湯を飲むことが重要になってくるのです。ここで、コーヒーや紅茶などカフェインを含んだ利尿作用がある飲み物を飲んでしまうと、逆に水分を失うことになることになるので注意が必要です。

 

あの戦国武将の伊達政宗は日々自分の脈をとり異常がないかを確認するほどの健康オタクでした。ある時政宗は長寿の秘訣を知るため元気な老人達を集め、何を心掛けているかを聞きだしました。すると、皆水をよく飲むという共通点がありました。政宗はそれこそ長寿の秘訣に違いないと老人達を見習い水をよく飲むようになったそうです。先ほど説明したようにこの話、現代の医学から見ても間違っていないようですね。さすが政宗!

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Wikipediaより転載

伊達政宗 (1567 - 1636) 肖像画

 

 


白湯を飲むタイミングと飲み方

お腹が空っぽの方が腸内をきれいに浄化できますし、就寝中に失った水分を補給できるという意味でも寝起きの一杯は一番おすすめのタイミングです。

 

朝のほかに白湯を飲むいいタイミングはあるのでしょうか。

 

アーユルヴェーダでは食事中にすするように飲むことで、消化が促されると考えられています。ただ、日本人は和食だとみそ汁があるので、洋食などみそ汁がない時に白湯をすすってみるのがいいかもしれません。また、食事の直前や直後はたくさん白湯を飲むと胃液が薄まり、逆に消化力を弱めてしまうとされており注意が必要です。それと、寝る前はトイレで睡眠を妨げることがないようほどほどにした方がよさそうです。

 

飲み方ですが、ちょびちょびすするように飲むことが大切です。体が細胞まで水分を取り込む能力には限界があります。一気に飲んでしまうと身体の細胞にいきわたる前に余計なものとして尿になり排出されてしまうのです。そうなれば白湯の効果を最大限引き出すことができなくなってしまいます。

 

 

 

どのくらい飲めばいいの?

 一般的には一日に600~800mlと言われています。持病によっては水をたくさん飲んではいけない方もいらっしゃるようですので、持病がある方は医師との相談が必要です。それに健康な人でもあまり飲みすぎると血中のナトリウム濃度が低下し、「水中毒」になり体調を崩してしまうこともあるようです。白湯を頑張って飲むというよりも、お茶やコーヒーでほっと一息つく時間を、白湯に変えてみるくらいの気持ちで飲むのがちょうどいいようです。慣れてくると白湯でも十分リラックスできますよ。

 

 

 

以上、おすすめのアーユルヴェーダ的朝の習慣とその理由でした。

健康法は何でも自分の体に聞くのが大切です。ぜひ試してみて、自分に合うと思ったら取り入れてみてください!最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

 

 

なぜ天皇は男系であることを求められるのか?

最近、なぜ天皇が男系継承でなければならないかと考えさせられる機会がありまた。色々自分なりに調べてみましたが、ちらっと見ただけでも国体の問題、男女同権、思想の右左、など様々な視点からの議論があり一概に正解はこれだと決めつけることはできません。ただ結論から言ってしまうと、その中で一番自分が共感できたのは「男系継承の伝統の長さ」を重んじる価値観でした。

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(東京国立博物館 展示パネルより)

 

 

女性天皇がいたのはなぜ?

歴史上、計10代8人(二人は二度即位している)の女性の天皇がいました。よく知られた例としては聖徳太子の時の天皇・推古天皇がいらっしゃいます。ところがこの女性天皇たちは男系の天皇なのです。つまり、父親が天皇で直接その血を継いでいるのです。恐れながら今の皇室で例えさせていただくと、愛子様が即位すればそれは男系の女性天皇になるわけです。下で詳しく説明します。

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 (推古天皇 Wikipediaより転載)

 

 

天皇とは何か?

それではまず一時期、議論の的になっていた天皇とはどういう人のことを言うのか考えてみましょう。女性天皇と女系天皇は全くの別のものです。この議論では、しばしば生物学の性染色体を使って次のように説明されます。ちょっとややこしいですがお付き合いください。

まず、男性XY女性XXの性染色体を持ちます。ここでは染色体は遺伝子の入れ物だと思ってください。わかりやすく色分けしてみました。その子が男の子なら両親から染色体を一つずつもらいXY、女の子ならXXとなります。仮にこの青色の染色体を天皇陛下のものだとすると愛子様はXXとなり確実に天皇陛下の染色体を受け継ぐことになるのです。

一方、天皇というのは、例えば愛子様XX血縁関係のない男性XYの方と結婚され、そのご子息が天皇に即位される場合をいいますが、両親から一つずつもらうと男の子ならXYXY、女の子ならXXXXの組み合わせになります。つまり、愛子様のご子息が皇位についた場合、二分の一の確率で青色の染色体をお持ちになられないのです。さらにそこから、その子孫の子孫がと天皇を引き継いでいかれると、もう最初の青色の染色体(天皇の遺伝子)を追うことはできないのです。

次にYの染色体だけ注目して見てみると愛子様のお子様には青色のY染色体は絶対に残らないのです。つまり天皇の遺伝子を確実に残していくためには男系継承のつながりを絶やさないことが唯一の方法になるのです。もちろん、性染色体のことなど当時の人たちが知るわけがありませんが、もしかしたら娘の息子より、息子の息子のほうが、お爺ちゃんに似ているなあという肌感覚が、昔の人達なりにあったのかもしれません。

 

また、お世継ぎが生まれなかったり、若くして亡くなってしまったりなどして適当な男子の皇太子がいない場合は、一つのつなぎの方法として男系の女性天皇が役割を果す場合もありました。それが先ほど紹介した8人の女性天皇です。(もちろん、業績などなされてきたことは決してつなぎなんてものではなく大変なことをされてきた方々です。血統の保持システムという意味でいい言葉が見つからず「つなぎ」としました。)

それで、適切な皇太子が生まれてくれば再び男系継承の流れに戻しますし、出てこない場合は血統をさかのぼって男系の人物を何としても探し出してきました。一説によると第26代継体天皇は5代先まで遡って男系をたどり、ようやく探し出してきた人物だったと言われています。つまり、ひいひいひいお爺ちゃんの頃から見た親戚なわけで、もはやそれは他人というような気も・・・(笑)とにかくそこまでして、男系継承を守り抜いてきたのです。

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足羽山継体天皇像(立花左近 氏により撮影)

Wikipediaより転載。

 

とは言え今の時代、血統を重んじるなんてばかばかしいと思う方もいるかもしれません。にもかかわらず、私がこのことを貴重だと思うのは少なくとも2000年近く、『古事記』や『日本書記』を信じるならもっとはるか昔から日本では、先ほど説明した例でいう青色のYの染色体のリレーを現代まで奇跡的に成し遂げてきたからです。一つの王室がこれだけ長く続いている例は世界中どこを探してもないそうです。圧倒的第一位の長さなのです。白村江の戦いで唐に負けようが、戦国時代になろうが、明治維新が起ころうがただただ連綿とこの男系継承は続けられてきたのです。そのことにシンプルに感動を覚えました。

 

例えていうなら、その辺に生えてるとるに足らない木だとしても、樹齢2000年にもなればそれは強烈なオーラを放つご神木になるのです。(天皇家はそもそも立派な木ですけど。)

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(三峯神社のご神木。写真はイメージです・・・。)

確かに血統などこだわらなくても、儀礼や外遊など天皇の仕事は変わりません。ただ、男系継承をやめるということは例えていうなら「法隆寺が古くなってきたから一度全部壊して、新しい木で立て直しましょう」と言っているようなものだと思います。どんなにそっくりに作ったとしてもそれはレプリカであり本物ではなくなってしまうと思います。天皇の血統とはそういう天皇制の伝統の中核をなすもので、時を経ればますます価値が高まる世界に誇る日本の無形文化財ととらえることはできないでしょうか。

 

 女性天皇の子が天皇になることはないのか?

女性天皇の子が天皇になることもあります。天智天皇、天武天皇、文武天皇などがそうですが、それは単純に父親が天皇か皇太子で男系を継承しているのです。

 

 

 

跡継ぎがいなくなったらどうするの?

今は秋篠宮家に悠仁親王がいらっしゃるので問題ないのですが、この先お世継ぎが絶えてしまう可能性もあると思います。今の世の中、側室なんてできるわけもないので昔よりもさらに難しい問題になってくると思います。ただそんな時も過去の歴史を見ればわかるように遡って男系の方を探せばいいのです。たとえ、戦後、皇籍を離脱させられたとはいえ旧宮家の方たちは当然立派な方々ですので皇位を継承してもらえばいいのです。ただ、先の先の先はどうなっていくのかはわかりません。仮におかしな人が天皇陛下になるかもしれません。けれど、もしそうなったとしてもその子どもたちが宮内庁の人たちのきちんとした教育を受ければ、環境が人格を作ってまた立派な天皇が現れてくるはずです。そもそも歴史を振り返れば、歴代天皇だって全員が全員立派な人だったわけではないはずです。個人的にはとにかくつなげていくことが大事なのではないだろうかと感じています。

 

長くなりましたが、以上になります。つい最近まで、別に男系なんて今の時代こだわらなくていいじゃんと思っていた口なのですが、調べれば調べるほどここでやめてしまうのがもったいない、これは世界に誇れる文化だと思うようになってきました。意見はそれぞれあるのでどう思うかはその人次第ですが、男系ってこういうことなんだと知っておくことは判断材料になると思います。

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

朝は、舌磨きと白湯。アーユルヴェーダ的健康法。

体調が悪くなってからでは遅いと分かっていても、なかなか元気な時に健康法を勉強・実践する気にはなりません。人間関係にしても、身の回りのものにしても、なくなってからどれだけ大切なものだったかに気付くというのは世の常です。

というわけで、例にもれず持病が悪くなってきて健康を徐々に失いつつあるわたくしが、健康法を貪るように探しているのでその中から誰でも実践できる簡単なものを紹介します。

 

今回はアーユルヴェーダというインド大陸の伝統医学の健康法を紹介します。インドではアーユルヴェーダの医師は国家資格の取得が必要とされ、その知識や技術は中国の漢方のように現代医学を補完・代替するものとして利用されています。2000年ほど前に生まれ発展してきた、今でも続く優れた医療技術です。

 

その中で、誰でも今日から実践できる朝の習慣

①舌磨き

②白湯を飲む

 

この2つです。シンプル過ぎて効果なさそうですが、現代医学からみても根拠がない事ではなく、調べれば調べるほど納得の理由がありました。

 

 

 

①舌磨き

アーユルヴェーダの古典『チャラカ・サンヒター』には「舌にたまった汚れは呼吸を邪魔し、異臭を生じるため、舌を磨かねばならない」とあります。朝起きて舌を見ると舌苔(ぜったい)と呼ばれる白く、あるいは体調によって黄色、黒色になった汚れがついていないでしょうか。これらの汚れは体調が悪い時、胃腸の調子が悪い時に増加します。アーユルヴェーダではこの汚れをアーマ(未消化物)のひとつの現れとし、病気の原因と考えます。現代医学でも食物のカス、細菌、はがれた口腔粘膜の上皮の集合体とし、体に悪影響を与えるものとしています。

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・舌苔が増える原因

歯科の面から調べてみると舌苔が増える原因は口内の乾燥にあるようです。就寝中の口呼吸や、自律神経の乱れ・加齢による唾液の減少で口内は乾燥しやすい状況が生まれます。唾液には口内細菌の繁殖を抑える力があるため、口内が乾燥してしまうと雑菌の温床になってしまうのです。特に寝起きは口内が一番乾燥するタイミング。朝起きたまま朝食を食べてしまうと、口内で繁殖した細菌を体内に丸ごと取り込むことになってしまうのです。

 

 

 

・舌苔が引き起こす症状

・口臭

・味を感じにくくなる。

誤嚥性肺炎のリスクを高める。

といったことがあるようです。誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)とは年配の方が食べ物や、口内の分泌物が気管に入ってしまった時におこることがある肺炎ですが、そのリスクが高まってしまいます。そのため介護の現場では舌苔の掃除も重要な仕事のひとつになっているようです。

さらに口内を不潔にして歯肉炎や歯周病になってしまうと口内細菌が血中に入ってしまい心臓病や脳疾患のリスクも高めてしまうことがわかってきています。このことから健康にとって口内を清潔に保つことがますます大切なこととされているのです。

アーユルヴェーダが舌磨きを薦めているのも、舌が汚れている人が病気になりやすいことを発見したからなのかもしれません。

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・舌苔のケアの仕方

一番のケアは生活習慣の改善です。

・よく噛んでものを食べる。

・たくさん食べすぎない。

・よく喋る。

・睡眠時間をしっかりとって自律神経を整える。

など胃腸をいたわったり、唾液の分泌を増やす工夫が大切です。

 

また、

・口呼吸をしない。

・煙草を吸いすぎない。

など口内を乾燥させないことができればさらにいいですが、なかなかすぐにはかえられないことも多いので舌磨きの方法を紹介します。

 

ここまで怖い事を並べてきたのでゴシゴシ舌苔を取ろうとしてしまうかもしれませんが、舌はデリケートなので強い刺激は厳禁です。多くても一日一回とされており、最も雑菌のたまりやすいの寝起きにするのが最適だそうです。口臭を抑える効果もあるのでそういう意味でも朝がいいと思います。

 

磨き方ですが、歯ブラシだと刺激が強すぎる上、逆に汚れを舌に擦り込んでしまうためよくないとされています。舌磨きの道具があるので専用のものを使いましょう。

 

私は↓の銅製のタングスクレーパーを使っています。アーユルヴェーダで一般的に使われている形です。細く平べったい銅がU字に曲げられたものですが、その両端を持ち、舌を出します。カーブになっている方を口の奥に入れ、手前に優しく2,3回かきだします。強く使うと逆に味覚を感じる細胞を壊してしまうので、焦らず長い目でケアしていくのが大切です。

一回使っただけでは舌の見た目は変わりませんが、そのすっきり感は癖になります。個人的な感想ですが、これをした後でないとなんとなく朝食をとりたくなくなってきます。

 

ただ、金属アレルギーの人とかは合わない可能性もあります。そういう方には↓の金属じゃないタイプのものもあるようです。使ったことはないですが、介護の方は人にやってあげるのに使いやすいようで、こういうタイプのものを使っているそうです。

 

後は、口をゆすぐだけでもいいですが、私の場合はせっかくだからと朝食前ですが、歯磨きとマウスウォッシュもしてしまいます。ただ、これも別にやりすぎではなく朝食前の歯磨きは歯科医の先生も健康に良い事として薦めていました。

 

通っていた歯科クリニックの歯科衛生士の方の言葉で今でも心に残っている言葉があります。

「歯肉炎は歯ブラシで治す!」

この言葉を胸に歯磨き粉の売り文句に頼らず、歯ブラシで歯茎をマッサージするつもりで歯磨きをしています。昔、歯磨きしすぎると歯茎が削れて減っていくとか教わっていましたが、そんなことはないようです。多少磨く回数が多くても問題ないのです。

 

口内を清潔に保ちそのためにも舌苔の掃除は不可欠です。皆さんも新しい朝の習慣に舌磨きを加えてみてはいかがでしょうか?

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

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