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餅をつけられたり穴をあけられたりする道祖神の悲哀

私の住んでる地域では街中を歩いていると道祖神(どうそじん)をよく見かけます。昔は気にもとめてませんでしたが、年齢とともになぜか年代を感じさせるあの古めかしい見た目と荒い造形にひきつけられてしまいます。気になって調べてみました。ご興味ある方は是非ご覧ください。

 

 

 

 

道祖神は何の神様か?

最初は村から出ていく者の旅の安全を願ったり、村に疫病が入ってこないよう祈るための村の守り神だったようです。次第に五穀豊穣縁結び・夫婦和合・子孫繁栄など多岐にわたってご利益が信じられ、また、道祖神の置かれている場所は子供の遊び場所となっていることが多かったことから子供達の守り神としても信仰されるようになっていきました。

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よく見かける男女寄り添う像(双体道祖神)<長野県松本市>

 

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石碑タイプも多いです。<長野県千曲市>

 

 

道祖神はどこに置かれているの?

道祖神は関東・甲信越地方に多く見られます。(特に長野県安曇野市は道祖神の数の多さで有名です。)村の中心や村の境界、三叉路(さんさろ/三つに分かれた道)や辻などに置かれていました。ちなみに私の住んでいる地域周辺では宅地開発・道路の拡張などで道祖神は移動を余儀なくされ、神社などの公共地にまとめて置かれており、本来置かれていた場所が既に分からなくなっています。もしかしたら市街地ではどこもこういうケースが多いのかもしれません。

 

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 いろいろな場所から集められてきた道祖神、馬頭観音、庚申塔など。

 

 

 削られていく道祖神

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道祖神 <長野県岡谷市>

 

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こちらは馬頭観音。<長野県岡谷市>

 

上の写真の道祖神と馬頭観音の上部がくぼんでいるのがわかるでしょうか。長野県諏訪周辺ではこのようなに穴の開いた道祖神も数多く見られます。これは子宝を願って棒でつついた跡が穴になったものです。この地域では「コンボータ、コンボータ」と大きな声をだしながら男児を、「コンボーメ、コンボーメ」といって女児を願って道祖神をつつくという風習があったそうです。つつく場所は決まっておらず、顔の真ん中が削れている道祖神もあるようです。なぜ棒でつつくのかはわかりませんが、棒でつつくという行為と子作りとを連想させていたのかもしれません。

 

ちょっと話は変わりますが、長野県千曲市法華寺の「鼻取り地蔵」は日照りになると

お堂から引きずり下ろされ五十里(いかり)川の念仏土井(どい)に放り込むという雨乞いの風習があったそうです。実物は見れませんでしたが、そのせいでお地蔵さんの鼻や両手はかけてしまっているのだとか。先ほどの道祖神といい、このお地蔵さんといい虐げられながらその神通力を発揮することを強要されています。なんだかかわいそうでもありますが、この地域密着型の神様達の心根の優しさが伝わってきて、恐れながら非常に愛着がわいて温かい気持ちになります。

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餅を張られる道祖神

私自身は一度も見たことはありませんが道祖神には餅などが塗り付けられていることがあるそうです。というのも、10月は神無月と言って、日本中の八百万の神様達が出雲に集まるために出かけてしまうのですが、道祖神様は参加の資格がないからと神様達に留守番を任され、自分たちがいない間に村に何かあったら報告しなさいと言われていたそうです。それを知った村人たちは村の事件をいちいち報告されてはたまらないと道祖神の顔や口に餅やぼた餅を塗り付ける風習が生まれました

ここまでくるとただの嫌がらせのような気もしますが、それでもバチをあてない優しい神様なんですね。

 

 

 

 道祖神のお祭り

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各地で1月14、15日頃に行われるどんど焼きは道祖神のお祭りとされる地域が多いです。(地域で呼び名は違います。)道祖神様が子供の守り神とされることから子供のお祭りとされる地域も多く、上の写真のような縁起物を燃やし、その火で餅や団子を焼き食べ無病息災を祈ったり、書初めを燃やしそれを炎で高く舞い上げ書道が上達することを願ったりします。

私自身も子供の頃、枝の先に色とりどりのお団子をつけて焼いて食べた遠い昔の記憶が思い出されます。

 

日本三大火祭りに数えられる長野県の「野沢温泉道祖神祭り」もどんど焼きのひとつです。こちらは子供の祭りではなく、勇猛な氏子達のお祭りです。その火柱は天にも昇るようで圧巻。近年では外国人からの人気が非常に高く、多くの方が海外から訪れるそうです。YouTubeで見つけたので載せておきます。


日本一の火祭り<野沢温泉の道祖神祭り>2018・4K

この祭りはまだ行ったことがありませんが必ず行ってみたい!

他にもオコト八日と言われる12月8日、2月8日にも各地で道祖神にまつわる色々な祭りが行われているようです。気づいていないだけで意外に道祖神にかかわるお祭りが身近にたくさんあるのかもしれません。興味のある方はお近くの地域のお祭りを調べてみてはいかがでしょうか。

 

 

以上道祖神についてまとめてみました。長野県中心の情報になってしまい、もしかしたら各地に全く違う伝承があるかもしれません。その時は各地域の風習を比べてみるのも面白いと思うのでご容赦ください(-_-;)

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

茅の輪(ちのわ)くぐりの由来とは?

 6月後半になると下の写真のような「茅の輪(ちのわ)」をよく見かけます。参拝作法は神社によっては案内掲示があるので知っている方も多いと思いますが、由来まではなかなか知る機会がないと思います。よかったらご覧ください。

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2019年6月 日枝神社(東京都千代田区永田町)

 

 

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2018年1月 市谷亀岡八幡宮 (東京都新宿区市谷)

 

 

 

茅の輪(ちのわ)くぐりとは?

「茅の輪くぐり」とは茅(かや)などの植物で作った「茅の輪」をくぐることによって、心身を祓い清め、厄除け、無病息災などを祈願する儀式です。

神社では6月と12月の末日に世間万民の罪穢れを清めるため祓(おおはらえ)」の神事を行います。6月の大祓は「夏越の祓(なごしのはらえ)」とも呼ばれ、その前後に境内に「茅の輪」が設置されています。また神社によっては12月の大祓の時にも設置するところがあるようで、上の写真の亀岡八幡宮も1月に撮影したものです。

 

 

茅の輪の由来とは?

この「茅の輪」は祇園祭りで有名な八坂神社(京都)の御祭神・牛頭天王(ごずてんのう)の逸話に由来があるようです。牛頭天王は釈迦が説法を行ったといわれる祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神ですが、日本ではスサノオノミコトと同一神とされています。

 

牛頭天王には次のような説話があります。

「南方の国に嫁を貰いに旅をしていた武塔神(むとうしん/牛頭天王のこと)が、一晩泊る宿を探していました。村に近づくと武塔神は旅人の姿に化身し、裕福そうな家を見つけ、主人の巨丹(こたんに宿をお願いします。しかし、無碍に断られてしまい、仕方なく粗末な家でしたが巨丹の兄・蘇民将来(そみんしょうらい)の家の戸口を叩き、泊めてもらえないか尋ねました。すると、蘇民将来は快く了承し、貧しいながらも粟飯で精一杯もてなしてくれたのです。

数年後、嫁を娶り子をなした武塔神が再び蘇民将来の前に現れ、自分が神であることを明かします。そして、かつて一晩泊めてくれたお礼に「茅(ちがや)で作った輪を身に着け、蘇民将来の子孫であると唱えれば無病息災が約束されるだろう。」と除難の法を授けて立ち去っていきました。言われた通りにやってみるとそれ以来、蘇民将来とその子孫達は村中が飢饉や疫病で苦しんでいるときも、その災厄を免れることができたと伝えられています。」

 

牛頭天王に関する 似たような説話は全国各地にあるようですが、話の流れはだいたい同じです。この話しの中で除難の法につかわれた「茅で作った輪」が茅の輪の由来で、はじめは小さい物をつけたり、あるいはフラフープのようにひとりずつくぐらせたりする風習だったそうですが、江戸時代には現在のように歩いてくぐるような大きなものが文献に見られるようになったそうです。この無病息災の儀式が大祓の神事と融合し、現在のスタイルになっています。

 

この「蘇民将来」の話は各地で語られ、岩手の裸祭りで有名な「蘇民祭」の由来にもなっていますし、伊勢周辺などでは玄関のしめ縄に蘇民将来という木札をつけて飾るところがあるのですが、それは「蘇民将来の子孫なので厄災を近づけないでください」と祈願する風習なのだそうです。

蘇民将来は全国各地で無病息災のシンボルとして親しまれています。

 

 

茅の輪のくぐり方

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くぐり方の図を作成する技術がないので、亀岡八幡宮の写真を無理やり引き伸ばしました(笑)この写真のように∞の形に茅の輪をくぐります。左右左と計4回くぐるのが一般的ですが、神社により回数や順番が違ったり、そもそも回り込めないよう両脇がふさがれていて、ただくぐればいいだけのところもあります。写真のように案内があればいいですが、何もなくて両脇が回り込めるようなら一般的な作法でいいと思います。また茅の輪をまたぐときは、その度ごとに一礼をするのが正式な作法のようです。

 

 

 

以上、「茅の輪くぐり」の由来などについてのレポートでした。知ってからくぐるとまた気分が違ってくるのではないでしょうか。上半期の穢れを落とし、新たな自分で残り半年健やかに過ごしましょう!

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

朝一杯の白湯がなぜ身体にいいのか。

前回アーユルヴェーダ的朝習慣の舌磨きを紹介しました。今回はもう一つの朝習慣、白湯を一杯飲むことの効能についてまとめてみました。ご興味ある方はご覧ください。

 

前回の記事はこちら↓

 

 

 

 

 

 

白湯(さゆ)とは何か。

 

水道水から白湯を作るには10分以上沸騰させ、しっかり塩素を飛ばすのがいいです。ただ、そこまでこだわると毎日続かないという方は電気ケトルで沸かすのが手間がかからず便利です。(夏は温かい白湯を飲むと汗をいて、逆に水分を失ってしまうので常温くらいまで冷ましても大丈夫です。)

 

↓うちはこういうの使ってます↓

よくないとされるのは沸騰させずに中途半端に温めたぬるい水や、水道水で割って冷ましたものを飲むことです。

 

江戸時代、福岡藩の藩医にもなった儒学者・貝原益軒(かいばらえきけん)が八十四歳の時に書いた健康指南書『養生訓』の中でこう言っています。

湯は熱いのを冷まして、ちょうどよくなった温度のときに飲むのがよいです。半沸きの湯を飲むと、腹がはります。

(『新訳 養生訓  編訳・蓮村誠)

完全に沸かしたものでないと体が水分を吸収しくいということでしょう。

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Wikipediaより転載

「貝原益軒像」

 

また、アーユルヴェーダでは人間の体はカパ(・地)、ピッタ(・水)、ヴァータ(空・風)という3つの体内エネルギーのバランスで生かされていると考えます。にかけ沸騰させ空気を含んだ白湯は、体のエネルギーを調和させるのに最適な飲み物となります。そのため、アーユルヴェーダでは薬を飲むときや、新生児・お年寄りなど体が弱い人の水分補給に白湯が使われるのです。やはりここでも、ただぬるい水を飲めばいいわけでなく、いったん沸騰させたものを冷まして飲むことを薦めています。

 

 

 

朝一杯の白湯の効果

 朝、起きたばかりの人間の体温は一日で最も低くなっています。一杯の白湯を飲み身体を内から温めることで、血行を促進させ、消化の力を高め、内臓の働きを目覚めさせることができます。

 

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・デトックス効果

白湯は不純物が入っていないので水分を体内に吸収しやすく、尿による毒素の排出を促します。また、胃の中に重みが加わることにより「胃結腸反射」という反応が起こり、胃腸の蠕動(ぜんどう)運動を促します。その結果、便意につながりますし、水分で便が柔らかくなるのでお通じにも良いのです。

 

このように体の毒素をきちんと排泄し、腸内をきれいに保つことで他にもいろいろな効果が期待できます。なぜなら腸は食べ物の栄養素を吸収し、その栄養を血液に乗せ、体の隅々まで運んでくれる働きをしているからです。どんなに栄養があるものを食べても腸をきれいにしておかないと栄養は吸収されません。栄養素なしでは他の臓器や器官も正常に働けないのです。必要な場所に必要な栄養素が届き、エネルギーが効率よく動き出してこそ健康でいられるのです。

例えば白湯を飲む習慣で以下の効能がよく挙げられます。

・ダイエット効果

・むくみの解消

・冷え性改善

・美肌効果

これらは必要な場所に栄養素が届き、身体が正常に動くようになれば当然起こりうる結果と言えます。

 

さらに

・水分補給

歳を重ねるほど水分を摂ること自体が重要な意味を持つようになります。人間の60%は水でできていると言われますが、年齢とともにその水分量は減っていきます。骨、髪、筋肉、脳、血液など体を作る細胞はすべて水分で維持されているので、水分の不足は老化を早める要因の一つになると言われています。就寝中は水分補給ができないので、翌朝が一番体が脱水しやすい状態にあります。だから、吸収されやすい白湯を飲むことが重要になってくるのです。ここで、コーヒーや紅茶などカフェインを含んだ利尿作用がある飲み物を飲んでしまうと、逆に水分を失うことになることになるので注意が必要です。

 

あの戦国武将の伊達政宗は日々自分の脈をとり異常がないかを確認するほどの健康オタクでした。ある時政宗は長寿の秘訣を知るため元気な老人達を集め、何を心掛けているかを聞きだしました。すると、皆水をよく飲むという共通点がありました。政宗はそれこそ長寿の秘訣に違いないと老人達を見習い水をよく飲むようになったそうです。先ほど説明したようにこの話、現代の医学から見ても間違っていないようですね。さすが政宗!

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Wikipediaより転載

伊達政宗 (1567 - 1636) 肖像画

 

 


白湯を飲むタイミングと飲み方

お腹が空っぽの方が腸内をきれいに浄化できますし、就寝中に失った水分を補給できるという意味でも寝起きの一杯は一番おすすめのタイミングです。

 

朝のほかに白湯を飲むいいタイミングはあるのでしょうか。

 

アーユルヴェーダでは食事中にすするように飲むことで、消化が促されると考えられています。ただ、日本人は和食だとみそ汁があるので、洋食などみそ汁がない時に白湯をすすってみるのがいいかもしれません。また、食事の直前や直後はたくさん白湯を飲むと胃液が薄まり、逆に消化力を弱めてしまうとされており注意が必要です。それと、寝る前はトイレで睡眠を妨げることがないようほどほどにした方がよさそうです。

 

飲み方ですが、ちょびちょびすするように飲むことが大切です。体が細胞まで水分を取り込む能力には限界があります。一気に飲んでしまうと身体の細胞にいきわたる前に余計なものとして尿になり排出されてしまうのです。そうなれば白湯の効果を最大限引き出すことができなくなってしまいます。

 

 

 

どのくらい飲めばいいの?

 一般的には一日に600~800mlと言われています。持病によっては水をたくさん飲んではいけない方もいらっしゃるようですので、持病がある方は医師との相談が必要です。それに健康な人でもあまり飲みすぎると血中のナトリウム濃度が低下し、「水中毒」になり体調を崩してしまうこともあるようです。白湯を頑張って飲むというよりも、お茶やコーヒーでほっと一息つく時間を、白湯に変えてみるくらいの気持ちで飲むのがちょうどいいようです。慣れてくると白湯でも十分リラックスできますよ。

 

 

 

以上、おすすめのアーユルヴェーダ的朝の習慣とその理由でした。

健康法は何でも自分の体に聞くのが大切です。ぜひ試してみて、自分に合うと思ったら取り入れてみてください!最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

 

 

なぜ天皇は男系であることを求められるのか?

最近、なぜ天皇が男系継承でなければならないかと考えさせられる機会がありまた。色々自分なりに調べてみましたが、ちらっと見ただけでも国体の問題、男女同権、思想の右左、など様々な視点からの議論があり一概に正解はこれだと決めつけることはできません。ただ結論から言ってしまうと、その中で一番自分が共感できたのは「男系継承の伝統の長さ」を重んじる価値観でした。

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(東京国立博物館 展示パネルより)

 

 

女性天皇がいたのはなぜ?

歴史上、計10代8人(二人は二度即位している)の女性の天皇がいました。よく知られた例としては聖徳太子の時の天皇・推古天皇がいらっしゃいます。ところがこの女性天皇たちは男系の天皇なのです。つまり、父親が天皇で直接その血を継いでいるのです。恐れながら今の皇室で例えさせていただくと、愛子様が即位すればそれは男系の女性天皇になるわけです。下で詳しく説明します。

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 (推古天皇 Wikipediaより転載)

 

 

天皇とは何か?

それではまず一時期、議論の的になっていた天皇とはどういう人のことを言うのか考えてみましょう。女性天皇と女系天皇は全くの別のものです。この議論では、しばしば生物学の性染色体を使って次のように説明されます。ちょっとややこしいですがお付き合いください。

まず、男性XY女性XXの性染色体を持ちます。ここでは染色体は遺伝子の入れ物だと思ってください。わかりやすく色分けしてみました。その子が男の子なら両親から染色体を一つずつもらいXY、女の子ならXXとなります。仮にこの青色の染色体を天皇陛下のものだとすると愛子様はXXとなり確実に天皇陛下の染色体を受け継ぐことになるのです。

一方、天皇というのは、例えば愛子様XX血縁関係のない男性XYの方と結婚され、そのご子息が天皇に即位される場合をいいますが、両親から一つずつもらうと男の子ならXYXY、女の子ならXXXXの組み合わせになります。つまり、愛子様のご子息が皇位についた場合、二分の一の確率で青色の染色体をお持ちになられないのです。さらにそこから、その子孫の子孫がと天皇を引き継いでいかれると、もう最初の青色の染色体(天皇の遺伝子)を追うことはできないのです。

次にYの染色体だけ注目して見てみると愛子様のお子様には青色のY染色体は絶対に残らないのです。つまり天皇の遺伝子を確実に残していくためには男系継承のつながりを絶やさないことが唯一の方法になるのです。もちろん、性染色体のことなど当時の人たちが知るわけがありませんが、もしかしたら娘の息子より、息子の息子のほうが、お爺ちゃんに似ているなあという肌感覚が、昔の人達なりにあったのかもしれません。

 

また、お世継ぎが生まれなかったり、若くして亡くなってしまったりなどして適当な男子の皇太子がいない場合は、一つのつなぎの方法として男系の女性天皇が役割を果す場合もありました。それが先ほど紹介した8人の女性天皇です。(もちろん、業績などなされてきたことは決してつなぎなんてものではなく大変なことをされてきた方々です。血統の保持システムという意味でいい言葉が見つからず「つなぎ」としました。)

それで、適切な皇太子が生まれてくれば再び男系継承の流れに戻しますし、出てこない場合は血統をさかのぼって男系の人物を何としても探し出してきました。一説によると第26代継体天皇は5代先まで遡って男系をたどり、ようやく探し出してきた人物だったと言われています。つまり、ひいひいひいお爺ちゃんの頃から見た親戚なわけで、もはやそれは他人というような気も・・・(笑)とにかくそこまでして、男系継承を守り抜いてきたのです。

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足羽山継体天皇像(立花左近 氏により撮影)

Wikipediaより転載。

 

とは言え今の時代、血統を重んじるなんてばかばかしいと思う方もいるかもしれません。にもかかわらず、私がこのことを貴重だと思うのは少なくとも2000年近く、『古事記』や『日本書記』を信じるならもっとはるか昔から日本では、先ほど説明した例でいう青色のYの染色体のリレーを現代まで奇跡的に成し遂げてきたからです。一つの王室がこれだけ長く続いている例は世界中どこを探してもないそうです。圧倒的第一位の長さなのです。白村江の戦いで唐に負けようが、戦国時代になろうが、明治維新が起ころうがただただ連綿とこの男系継承は続けられてきたのです。そのことにシンプルに感動を覚えました。

 

例えていうなら、その辺に生えてるとるに足らない木だとしても、樹齢2000年にもなればそれは強烈なオーラを放つご神木になるのです。(天皇家はそもそも立派な木ですけど。)

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(三峯神社のご神木。写真はイメージです・・・。)

確かに血統などこだわらなくても、儀礼や外遊など天皇の仕事は変わりません。ただ、男系継承をやめるということは例えていうなら「法隆寺が古くなってきたから一度全部壊して、新しい木で立て直しましょう」と言っているようなものだと思います。どんなにそっくりに作ったとしてもそれはレプリカであり本物ではなくなってしまうと思います。天皇の血統とはそういう天皇制の伝統の中核をなすもので、時を経ればますます価値が高まる世界に誇る日本の無形文化財ととらえることはできないでしょうか。

 

 女性天皇の子が天皇になることはないのか?

女性天皇の子が天皇になることもあります。天智天皇、天武天皇、文武天皇などがそうですが、それは単純に父親が天皇か皇太子で男系を継承しているのです。

 

 

 

跡継ぎがいなくなったらどうするの?

今は秋篠宮家に悠仁親王がいらっしゃるので問題ないのですが、この先お世継ぎが絶えてしまう可能性もあると思います。今の世の中、側室なんてできるわけもないので昔よりもさらに難しい問題になってくると思います。ただそんな時も過去の歴史を見ればわかるように遡って男系の方を探せばいいのです。たとえ、戦後、皇籍を離脱させられたとはいえ旧宮家の方たちは当然立派な方々ですので皇位を継承してもらえばいいのです。ただ、先の先の先はどうなっていくのかはわかりません。仮におかしな人が天皇陛下になるかもしれません。けれど、もしそうなったとしてもその子どもたちが宮内庁の人たちのきちんとした教育を受ければ、環境が人格を作ってまた立派な天皇が現れてくるはずです。そもそも歴史を振り返れば、歴代天皇だって全員が全員立派な人だったわけではないはずです。個人的にはとにかくつなげていくことが大事なのではないだろうかと感じています。

 

長くなりましたが、以上になります。つい最近まで、別に男系なんて今の時代こだわらなくていいじゃんと思っていた口なのですが、調べれば調べるほどここでやめてしまうのがもったいない、これは世界に誇れる文化だと思うようになってきました。意見はそれぞれあるのでどう思うかはその人次第ですが、男系ってこういうことなんだと知っておくことは判断材料になると思います。

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

朝は、舌磨きと白湯。アーユルヴェーダ的健康法。

体調が悪くなってからでは遅いと分かっていても、なかなか元気な時に健康法を勉強・実践する気にはなりません。人間関係にしても、身の回りのものにしても、なくなってからどれだけ大切なものだったかに気付くというのは世の常です。

というわけで、例にもれず持病が悪くなってきて健康を徐々に失いつつあるわたくしが、健康法を貪るように探しているのでその中から誰でも実践できる簡単なものを紹介します。

 

今回はアーユルヴェーダというインド大陸の伝統医学の健康法を紹介します。インドではアーユルヴェーダの医師は国家資格の取得が必要とされ、その知識や技術は中国の漢方のように現代医学を補完・代替するものとして利用されています。2000年ほど前に生まれ発展してきた、今でも続く優れた医療技術です。

 

その中で、誰でも今日から実践できる朝の習慣

①舌磨き

②白湯を飲む

 

この2つです。シンプル過ぎて効果なさそうですが、現代医学からみても根拠がない事ではなく、調べれば調べるほど納得の理由がありました。

 

 

 

①舌磨き

アーユルヴェーダの古典『チャラカ・サンヒター』には「舌にたまった汚れは呼吸を邪魔し、異臭を生じるため、舌を磨かねばならない」とあります。朝起きて舌を見ると舌苔(ぜったい)と呼ばれる白く、あるいは体調によって黄色、黒色になった汚れがついていないでしょうか。これらの汚れは体調が悪い時、胃腸の調子が悪い時に増加します。アーユルヴェーダではこの汚れをアーマ(未消化物)のひとつの現れとし、病気の原因と考えます。現代医学でも食物のカス、細菌、はがれた口腔粘膜の上皮の集合体とし、体に悪影響を与えるものとしています。

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・舌苔が増える原因

歯科の面から調べてみると舌苔が増える原因は口内の乾燥にあるようです。就寝中の口呼吸や、自律神経の乱れ・加齢による唾液の減少で口内は乾燥しやすい状況が生まれます。唾液には口内細菌の繁殖を抑える力があるため、口内が乾燥してしまうと雑菌の温床になってしまうのです。特に寝起きは口内が一番乾燥するタイミング。朝起きたまま朝食を食べてしまうと、口内で繁殖した細菌を体内に丸ごと取り込むことになってしまうのです。

 

 

 

・舌苔が引き起こす症状

・口臭

・味を感じにくくなる。

誤嚥性肺炎のリスクを高める。

といったことがあるようです。誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)とは年配の方が食べ物や、口内の分泌物が気管に入ってしまった時におこることがある肺炎ですが、そのリスクが高まってしまいます。そのため介護の現場では舌苔の掃除も重要な仕事のひとつになっているようです。

さらに口内を不潔にして歯肉炎や歯周病になってしまうと口内細菌が血中に入ってしまい心臓病や脳疾患のリスクも高めてしまうことがわかってきています。このことから健康にとって口内を清潔に保つことがますます大切なこととされているのです。

アーユルヴェーダが舌磨きを薦めているのも、舌が汚れている人が病気になりやすいことを発見したからなのかもしれません。

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・舌苔のケアの仕方

一番のケアは生活習慣の改善です。

・よく噛んでものを食べる。

・たくさん食べすぎない。

・よく喋る。

・睡眠時間をしっかりとって自律神経を整える。

など胃腸をいたわったり、唾液の分泌を増やす工夫が大切です。

 

また、

・口呼吸をしない。

・煙草を吸いすぎない。

など口内を乾燥させないことができればさらにいいですが、なかなかすぐにはかえられないことも多いので舌磨きの方法を紹介します。

 

ここまで怖い事を並べてきたのでゴシゴシ舌苔を取ろうとしてしまうかもしれませんが、舌はデリケートなので強い刺激は厳禁です。多くても一日一回とされており、最も雑菌のたまりやすいの寝起きにするのが最適だそうです。口臭を抑える効果もあるのでそういう意味でも朝がいいと思います。

 

磨き方ですが、歯ブラシだと刺激が強すぎる上、逆に汚れを舌に擦り込んでしまうためよくないとされています。舌磨きの道具があるので専用のものを使いましょう。

 

私は↓の銅製のタングスクレーパーを使っています。アーユルヴェーダで一般的に使われている形です。細く平べったい銅がU字に曲げられたものですが、その両端を持ち、舌を出します。カーブになっている方を口の奥に入れ、手前に優しく2,3回かきだします。強く使うと逆に味覚を感じる細胞を壊してしまうので、焦らず長い目でケアしていくのが大切です。

一回使っただけでは舌の見た目は変わりませんが、そのすっきり感は癖になります。個人的な感想ですが、これをした後でないとなんとなく朝食をとりたくなくなってきます。

 

ただ、金属アレルギーの人とかは合わない可能性もあります。そういう方には↓の金属じゃないタイプのものもあるようです。使ったことはないですが、介護の方は人にやってあげるのに使いやすいようで、こういうタイプのものを使っているそうです。

 

後は、口をゆすぐだけでもいいですが、私の場合はせっかくだからと朝食前ですが、歯磨きとマウスウォッシュもしてしまいます。ただ、これも別にやりすぎではなく朝食前の歯磨きは歯科医の先生も健康に良い事として薦めていました。

 

通っていた歯科クリニックの歯科衛生士の方の言葉で今でも心に残っている言葉があります。

「歯肉炎は歯ブラシで治す!」

この言葉を胸に歯磨き粉の売り文句に頼らず、歯ブラシで歯茎をマッサージするつもりで歯磨きをしています。昔、歯磨きしすぎると歯茎が削れて減っていくとか教わっていましたが、そんなことはないようです。多少磨く回数が多くても問題ないのです。

 

口内を清潔に保ちそのためにも舌苔の掃除は不可欠です。皆さんも新しい朝の習慣に舌磨きを加えてみてはいかがでしょうか?

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

続きはこちらです

↓  ↓  ↓

 

 

 

神の子孫である天皇に寿命がある理由⁉冨士御室浅間神社(山梨県富士河口湖町)

去年から金運メタルカード守り探しを始めているのですが、ネットで調べてもなかなか出てきません。数少ないネットで見つけた神社のひとつが富士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)です。富士山の周りには有名な浅間神社がたくさんありますが、そのなかでも河口湖のほとりにある比較的ひっそりとした神社でした。

 

 

 

里宮と本宮

 

<里宮>

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写真は里宮です。958年村上天皇が崇敬者が参拝しやすいよう人里に近い場所に建立した神社です。現在の建物は明治22年に再建されたものです。

 

 

 

<本宮>

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里宮の境内にある本宮は、昭和49年に現在奥宮がある富士吉田口登山道二合目から移築されてきました。富士山中で最も古いお宮で、文武天皇三年(699年)に藤原義忠(ふじわらののりただ/平安時代中期の貴族・歌人・儒学者)の創建とされています。

 

本宮は、800年に富士山の噴火の為炎上しましたが、初代征夷大将軍で知られる坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東北征伐成就のお礼として再建します。社殿はその後も噴火による火災を繰り返し、その度修繕が行われてきました。

武田信玄の父・信虎をはじめ、武田家にも代々篤く信奉され、娘のための信玄自筆の安産祈願文や、信玄が彫った不動明王座像など今でも多くの武田家ゆかりの品が残っています。

昭和48年、本宮は積雪・風雨・霧など厳しい自然条件で管理が難しいことから今の里宮の境内に移築されました。翌年、昭和49年に重要文化財に指定されています。

 

拝殿の奥に移設されてきた社殿が見えます。

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社殿には色鮮やかな装飾が施されています。

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現在残っているこの社殿は1612年に領主・鳥居成次(とりいなりつぐ)が造営したものです。

 

 

御祭神と天皇にまつわる神話

御祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。

 

コノハナサクヤヒメは太陽神・アマテラスの孫神・ニニギノミコトの奥さんで、山の神・オオヤマツミの娘でもあります。おそらく太陽神と山の神とのつながりを持つこの女神だからこそ、富士山の麓のいたるところに祭神として祀られているのでしょう。

 

コノハナサクヤヒメは美しい女神で、天からやってきたニニギに見初められ結婚を申し込まれます。父親のオオヤマツミは喜んで、姉のイワナガヒメと一緒に娘二人を嫁に差し出します。ところがニニギはイワナガヒメが醜かったので、「お前はいらない」と追い返してしまうのです。オオヤマツミは怒ります。「イワナガヒメはあなたの命が岩のように永遠のものとなるように、コノハナサクヤヒメはあなたの治世が木の花が咲くように繁栄するよう誓約をたてて送り出したのだ。コノハナサクヤヒメだけを妻にしたあなたの命は木の花のようにはかなく散ることになるだろう。」とニニギに告げました。それ以来、太陽神・アマテラスの子孫といえど、ニニギもその末裔の天皇たちも寿命を持つようになったと言われています。

 

 

 

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こちらは境内にあった不老長寿の石像。特に説明板はなかったですが、台座に刻印された「不老長寿」というキーワードを上の神話と照らし合わせてみると、オオヤマツミとイワナガヒメで「あなたの命が岩のように永遠のものとなりますように」と言うことなのでしょうか。

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ニニギは結構ひどい事を言ってしまう性格らしく、コノハナサクヤヒメが身ごもった時も、「一夜で子ができるわけがない、違う男の子だろ。」なんてことを言い放ってしまいます。怒ったコノハナサクヤヒメはお腹の子が、天の神の子であるなら何が起こっても無事生まれてくるはずと、産屋に火を放ちその中で三柱の子神を出産したとされています。なんという気の強さ・・・。人間だったら離婚になるくらいの大失言ですが、日本の神様はこういう完璧じゃないところがあるのもまた面白いです。

 

ちなみにコノハナサクヤヒメはその美しさから芸能の神様ともされることもあり、芸能人御用達の新宿花園神社の境内にある芸能浅間神社の御祭神でも有名です。

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摂社末社もビックネーム

こちらの神社は参道脇や社殿をぐるりと囲むように石の祠(ほこら)が置かれています。

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稲荷神社もありました。

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中でも本殿真裏にあったこの祠は祀られてる神様がやばい。

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<別天津神社>

御祭神は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神皇産霊神(かみむすひのかみ)、可美葦牙彦舅神(うましあしかびひこじのかみ)、天之常立神(あめのとこたちのかみ)伊邪那岐神(いざなぎのかみ)伊邪那美神(いざなみのかみ)です。

イザナギ、イザナミ以外の五柱の神様は「古事記」の中で別天津神(ことあまつかみ)と呼ばれる、混沌の中から世界を生み出した神様達です。日本の国土や数多の自然の神々を生んだイザナギ、イザナミよりも古い全ての始まりの神様なのです。

それにおまけのようにアマテラスオオミカミが合祀されているという最強布陣です。

 

 

おススメおみくじ・お守り

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 御祭神の名前にちなんで花咲おみくじというのがありました。普通のおみくじもあります。

 

 

そして、、、、、、

 

 

念願の金運メタルカード守り

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ついにゲットしました!遠かった!

コノハナサクヤヒメが描かれており、富士の麓で雲の上に乗っています。富士山最古の社、金運、開運!

 

いやー、この見つけた瞬間がたまりません。なかなか出会えませんがまだまだ探していこうと思います!あそこにあったぞっていう方は是非コメント欄で教えてください!よろしくお願いします!

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

メタルカード守りに興味がある方はカテゴリーのメタルカード守りをぜひクリックしてみてください。メタルカード守りがあった神社を紹介しています。

東国三社巡りの禁断の裏話

東国三社巡り」は関東のお伊勢さんと言えるくらい強力なパワースポットだという噂は度々聞いていました。いつか行ってみたいと思いつつ、なかなか財布的にも、移動距離的にも重い腰が上がらなかったのですが、去年ついに行ってきました!その時のレポートです。よかったら写真だけでもご覧ください。youtubeで気になる裏話も見つけましたのでご興味ある方は目次から飛べますのでそちらもどうぞ。

 

東国三社とは茨城県の鹿島(かしま)神宮息栖(いきす)神社千葉県の香取神宮を指します。県境をまたいではいますが、3社とも比較的近い位置にあります。

明治以前に「神宮」の名がつけられたのは「伊勢神宮」と「鹿島神宮」、「香取神宮」の三社だけです。京の都から離れた東国の神社でありながら、その格式の高さがうかがえます。江戸時代には「下三宮参り(または「お伊勢参りのみそぎ参り」)といって、関東以北の人がお伊勢参りをした帰りに、この三社を参拝するのが人気だったそうです。

 

 

 

 

御祭神

鹿島神宮の御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。創建は神武天皇元年と伝えられています。神武天皇元年は紀元前660年と推定されています。常陸国(ひたちのくに)の一宮。一宮(いちのみや)はその地域で最も権威のある神社のことです。

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香取神宮の御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)神武天皇18年(推定紀元前642年)の創建と伝えられています。下総国(しもうさのくに)の一宮。

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息栖神社の御祭神は岐神(くなどのかみ)を主神とし、相殿に天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、住吉三神を祀っています。創建は第十五代応神天皇の頃と伝えられ、4世紀後半頃と推定されます。最初は少し離れた日川(にっかわ)の地にありましたが、800年頃、藤原内麻呂(ふじわらのうちまろ)により現在地に移されました。他の2つの神社に比べると新しい神社のようです。

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この三社の御祭神は「古事記」や「日本書紀」の神話の中で密接にかかわっていることがわかります。

『国譲り』のエピソードは、高天原(たかまがはら)の神が、葦原中国(あしはらのなかつくに)の神たちを制圧するのですがその時、力を見せつけ国を明け渡すように迫るのが鹿島神宮の御祭神・タケミカヅチ香取神宮の御祭神・フツヌシです。そのことから武神ともされている神様達です。

息栖神社の御祭神・岐神(くなどのかみ)は、息栖神社の社伝によるとその二柱の神に先立って国土の経営にあたられた神様とされ、相殿の天鳥船神(あめのとりふねのかみ)タケミカヅチの副神として先導を務めた神様と伝えられています。いわば、『国譲り』を完遂した英雄たちがこの三社に祀られているのです。

 

 

 

なぜ鹿島神宮と香取神宮は関東にあるのか

三社ともあまりにも古い神社でいつ誰が創建したかの正確な情報はわかりませんが、まず鹿島神宮の創建の由緒を紹介します。

 

カムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)の勢力は長いこと九州に拠点をもっていましたが、奈良の大和に軍事侵攻することを決意します。しかし、その道半ばで絶体絶命の窮地に陥ってしまうのですが、そこに高倉下(たかくらじ)という者が現れ、夢のお告げで見つけたというタケミカズチの神威の宿っ韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)を献上するのです。その剣の霊力でなんとか危機を乗り越え、見事大和を制圧することができたカムヤマトイワレビコはその神恩に感謝して、天皇即位の年にタケミカヅチを鹿嶋の地(宮城県)に祀ったというのが鹿島神社創建の由緒とされています。

 

ここで一つ疑問があります。神話にまつわる地名が西日本(九州や出雲地方)に多く残っていることから、多くの古代史好きは神話の舞台は九州と近畿の辺りで、実際にあった戦いなどが寓話になったんじゃないかと感じていると思いますが、なぜ神宮と名付けられるほど大事な社がそのような地方から遠く離れた関東に置かれたのでしょうか。

 

東国三社について調べているとYouTubeで面白い考え方の方を見つけました。下に貼っておきましたが、東北大学名誉教授の田中英道氏の動画です。「日本書記」には東北に蝦夷(えみし)という人々の住む日高見国(ひたかみのくに)があったと記されているのですが、田中氏によるとこの日高見国がアマテラス達がいた高天原だったのではないかというのです。最初はまさかあ!と思ったんですが考えれば考えるほどどんどん辻褄が合うような気がします。そう考えると鹿島・香取神宮が関東にあることも納得できるのです。

 

ここからは私見ですが、自分なりに高天原が東北にあった理由を考えてみました。

まず、東北に高天原があり関東に葦原中国があったとすれば、神武天皇がかつて「国譲り」で活躍したタケミカヅチ達を関東に祀った気持ちがわかってきます。というのも神武天皇は高天原の神々の子孫とされているので、もしかしたら自分たちのルーツが関東・東北地方にあったことを知っていたのではないでしょうか。

 

 

さらに東北と高天原を結びつけられそうな点を上げてみます。

 

①神武天皇元年が紀元前660年と推定されるので、それが正しければ神話の時代はそこからさらに時代をさかのぼるので縄文時代の話しであることになります。縄文時代は前期、中期、後期、晩期と東北と関東に人口が集中していたと考えられています。(参考:佐賀の縄文人)もしその時期に2つの大国があったとするなら東北と関東を二分していたと考えてもおかしくありません。

 

②先ほど記した奈良(大和)への侵攻の際、神武天皇は大阪湾から大和を攻めました。しかし、すさまじい反撃にあい大打撃を受けます。その時、負傷し瀕死状態になってしまったお兄さん(イツセノミコト)が神武天皇に言います。「アマテラスオオミカミ(太陽神)の子孫である我々が日に向かって戦ったから(西から攻めたから)負けたんだ。東に回り込んで日を背にして戦うべきだ。」と。なぜ、急にそんなジンクスを持ち出したのでしょうか。午後から戦えば日を背に戦えるという反論もできてしまいます。ただ、ジンクスとは過去の成功体験から生まれませんか?もしかしたら、神武天皇達は、かつて高天原の軍勢が関東を制圧し、東から西にその勢力を移動させてきたという歴史認識があったのではないでしょうか。そう考えれば、ジンクスだけでなく西から攻めたほうが地の利があるのかもしれないと考えた可能性もでてきて、わざわざ大回りしてまで西から攻めた理由も納得できます。

 

③遺伝子学的に見ると、縄文人系の遺伝子が強いのは関東以北と山陰地方(出雲)、沖縄だそうです。(参考:youtube 日本人はどこから来たのか/下にリンク)九州、近畿は弥生系の遺伝子が強いとされています。これは北と南から違う民族がぶつかったのではなく、縄文系が東北から九州まで降りてきて、そこで半島からの渡来人と血が混ざり弥生系の人たちが生まれたのではないかと考えられています。神武東征(神武天皇の奈良大和への侵攻)で弥生系が瀬戸内、近畿に広がっていったと考えれば遺伝子の分布と符合します。

 

以上の3点が、高天原が東北にあったのかもしれないと思った点です。こうしてみてくると関東平野一面に葦が生い茂り、その姿から葦原中国と名付けられた国の姿が浮かび上がってきませんか?

と、ここまで壮大な妄想に付き合っていただいた方ありがとうございました(笑)。

 

下の動画は参考にした動画です。三社巡りに実際に行った後に見ると、さらに面白く勉強にもなるのでぜひご覧ください。

 

参考:田中英道氏

www.youtube.com

www.youtube.com

 

遺伝子について参考:茂木誠氏

www.youtube.com

 

 

 

 禁断の裏話

 まずは初めに質問です。こちらは鹿島神宮と香取神宮の超有名パワースポットの要石ですが、上と下の要石、どちらの石からパワーを感じますか?

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こちらは鹿島神宮の要石(かなめいし)

 

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こちらは香取神宮の要石(かなめいし)

 

裏話とはこの二つの石にまつわる話で、上の田中英道先生の2本目の動画の中で出てくる香取神宮権禰宜(ごんねぎ)のお孫さんのお話です。こんなこと言って大丈夫なのか?と不安になりました(笑)

 

この2つの要石は一般的な説では、地下に棲む大鯰(おおなまず)の頭と尾っぽをそれぞれ抑えて地震の被害を抑えていると伝承されています。しかし、本当のところは江戸時代後期に鹿島神宮で暦(こよみ)を販売する際に、神社の売りとして表紙にそのことを書いて広めたのが、世間の人が知ることになった始まりなのだそうです。話の起源は定かでなく、鹿島神宮の公式な見解としても要石を鹿島信仰の正式なものとして扱わず俗説だとしているそうです。そもそも、最初に地下で暴れるのは龍だったのですが、途中から鯰になったとか。そちらの方が世間受けがいいと考えたのかもしれません。

香取神宮の要石はもっといい加減で、古文書に鹿島神宮の要石が評判になったので香取神宮にも設置したという記録が残っているそうです。さらには最初に設置された石が小さく貧相だったので、その時の香取神宮の禰宜さんが大きい石に取り換えたと聞いていると権禰宜のお孫さんが動画の中で話されています。

 

というわけでどちらも怪しげな石で、最初の質問は意地の悪いひっかけでしたが、江戸時代からの人々の信仰の思いが詰まってるのですから磐座と言ってもいいくらいパワーがあるかもしれません。この話しは忘れてください(笑)

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鹿島神宮の石像です。大鯰をタケミカヅチが抑え込んでいます。(これは神社さんの営業努力なのかもしれません・・・。)

 

 

 

パワースポット

上記の大鯰の話が作り話だったとしても、この三社がいにしえからの聖地であったことに変わりなく、いずれの神社も境内はひんやりと澄んだ荘厳な空気が漂い、透き通った湧き水に身が清められる思いがします。格調高いおすすめの神社です。

パワースポットのダイジェストをご覧ください。

 

<鹿島神宮>

参道。

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御手洗(みたらし)

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湧き水でとても澄んでいます。みそぎに使われていたとか。

奥宮。

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<香取神宮>

参道。

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奥宮

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神池。

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楼門。

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本殿と共に1700年徳川幕府による建造。どちらも国の重要文化財。額は東郷平八郎の筆。



<息栖神社>

忍潮井(おしおい)。男甕女甕の二つが並んでいる。奥に見えるのは常陸利根川につながる水門。

 

・男甕(おがめ)

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・女甕(めがめ)

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伊勢(三重)の明星井(あけぼのい)、山城(京都)の直井(なおい)と並ぶ日本三大霊泉のひとつ。1000年以上もの昔から絶えることのない湧き水。両方の井の中にはそれぞれ甕が沈んでいて、水が澄んで底の甕を見ることができると幸運が舞い込むと言われている。

 

招霊(おがたま)の木。

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精霊の宿る幸運の木の代表格。近寄るとパワーを授かるとされています。

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一円玉のデザインになっている木です。

 

奥に見えるのが息栖の夫婦杉(めおとすぎ)。樹齢約1000年。

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おすすめのお守り

絶対集めたくなるのがこれ。三角柱の木のくぼみに三社それぞれで授与さるご神紋のシールを埋め込む東国三社守りです。

 

 

行く前にチェックしてなかったので、ゲットし損ねました・・・。死ぬほど後悔しています。いつかもう一回東国三社巡りしたい!

 

当日は、鹿嶋駅前のホテルで一泊して、三社とも電車とバスを使って計2日で周りました。香取と鹿島は電車とバスで簡単に行けるのですが、息栖神社のアクセスは車がないときついです。どこをどう歩いたか覚えてませんがタクシー代がもったいなくて3、4時間歩く羽目になりました・・・。しかし、それも今となればいい思い出。息栖神社近くの鹿島セントラルホテルから東京駅まで高速バスが一日に何本もでていたのでそれを利用し東京方面に帰宅。帰りはそれほど歩かずに済みました。同じような旅行スタイルの方、息栖神社には気を付けて!わたくしは今度行く時までにペーパードライバーを卒業します!!

 

 

めちゃくちゃ長くなりましたが最後までご覧いただきありがとうございました!