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神を降ろす鎌とは?諏訪大社下社の遷座祭

諏訪大社の下社には春宮と秋宮の二つがあります。1年に2回、神様はその二つの神社間を移動し鎮座する場所を移します。その神事が2月1日と8月1日に行われる遷座祭です。特に8月の遷座祭はお舟祭りとも呼ばれ、氏子達が乗った巨大な舟を引っ張り、市中を曳きまわす盛大なお祭りが行われます。

 

しかし、ここはあえて地元の人くらいしか行かない2月の遷座祭をレポートします。下社の春宮・秋宮の2つの神社で行われるこじんまりとして厳かな儀式ですが、これが意外に面白かったので、写真だけでもご覧ください!

 

遷座する神様は八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)です。この神様は諏訪大社上社の御祭神・建御名方神(タケミナカタノカミ)の姫神です。タケミナカタは「国譲り」の神話の中で、タケミカヅチという神様にコテンパンにやられ諏訪に逃げこんできた神様です。諏訪から出ないことでタケミカヅチの許しを得たと伝えられています。

 

上のような説明が一般的にされていますが実は諏訪明神の正体はっきりとは分かっておらず諸説あるようです。諏訪明神=タケミナカタとされたのは室町時代頃に書かれた諏方大明神画詞(すわだいみょうじんえことば)にこの説が採用されていたことが大きいようで、諏訪明神の信仰が始まってからかなり時代を下った後の話のようです。その辺の諏訪の信仰について最高にわかりやすく詳しく書いてある本があるので興味ある方はどうぞ↓。諏訪大社に興味ある人は絶対に面白いと思います。おすすめです。

『諏訪の神さまが気になるの』 北沢房子

(↑画像クリックでAmazonレビューに飛びます)

 

 

 

前置きはこれくらいにして遷座祭の様子はこちらです。

午後1時、秋宮の幣拝殿前で神事が始まりました。

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続々と神職の方が現れます。氏子や参列者が続き、幣拝殿の前に整列します。

 

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幣拝殿前で清めの儀式や祝詞の口上が30分ほど続きます。祝詞の間はずっと頭を下げていないといけないので、結構しんどかったです。

 

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一通り終わると神輿担当の氏子たちが幣拝殿の奥へ入っていきます。

 

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矛や旗を持つ担当の氏子たちは、それぞれ担当の物を手に取って行列の準備に入ります。想像より重かったようで、よろよろして倒しそうになってる人もいました。

 

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こちらは「薙鎌(なぎがま)」です。

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独特な鳥のような形をしたこの薙鎌は諏訪大社の神事には欠かせない神器です。本来は柄の部分がついていない状態で使われ、この鎌を下の写真のように木に打ちつけると諏訪明神のご神威が宿るとされています。人が乗った大木を坂から滑り落とすことで有名な御柱祭で使われる神木も、この薙鎌を打ちつけ諏訪明神を宿した後に切り倒され祭りに使われるのです。

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(写真は守矢資料館のモニュメント。薙鎌が刺さっているのがわかるでしょうか。)

また薙鎌の薙(なぎ)は「凪(なぎ=風のない状態)」に通じるともされ、薙鎌は風をバラバラに切り、暴風雨をおさえこむ力があるとも伝えられます。昔の人にとって天候は農作物の出来を大きく左右し、生き死にに直結する問題だったためこうした神器や神事が生まれ、神様の力にすがったのではないでしょうか。

 

幣拝殿の奥からいろいろなものを担いで氏子の方々が出てきました。

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こちらは御正台(みしょうだい)。二基あり、行列していると地元の人がこの神輿におひねりを投げ込んでいました。

 

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近くで見るとこんな感じです。

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小さな鳥居の下にかけられた生地には龍と雲が刺繍されていました。

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こちらのかごの中に入っているのは御篋(おはこ)。中が何かは不明。声が掛けれれば神職の方にいつか中身を聞いてみたい。

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こっちは春宮からの帰り。空になっているのがわかります。春宮の宝殿におさめる何かを運んでいたようです・・・。

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そしてこちらがメインの御霊代(みたましろ=御神体)を載せた御神輿です。豪華絢爛な、いわゆる御神輿とは違い、その棺のような外観は見る者の心をひきつけます。

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神輿にかぶさった布地の柄は「梶の木」。諏訪大社の神紋です。根が5本が下社、4本が上社の神紋です。

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いつもはまん中にはお賽銭箱が置かれているこの神楽殿ですが、遷座祭では御神輿が突っ切ります。(下の写真は普段の様子。)

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短いですがこれが、神輿が神楽殿を突っ切る様子です。


諏訪大社下社。2月の遷座祭。秋宮の神楽殿を突っ切る様子。


そのまま秋宮の鳥居をくぐり、下諏訪の街にくり出します。

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こちらは普段の駅前の大通り。ここを下って春宮に向かっています。

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下っていく様子。

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春宮から800mほど離れたところにある大鳥居。

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こちらは「下馬橋(げばばし)」

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修繕はされていますが、室町時代の建築で諏訪大社4社の中で最も古い建造物です。その名はどんなに身分の高い人でも参拝の際には、馬を降りて渡った橋とされることに由来します。道端に唐突に現れているように見えますが、今も橋の下を暗渠が流れています。

 

遷座祭の日には上の写真に見える柵が外されます。行列はよけて歩きますが、御神輿はこの橋の上を渡って行きます。

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いいなぁ。

 

そして秋宮を出て4,50分ほどで春宮に到着。

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秋宮と同じように普段はしまっている神楽殿も、この日は神輿が突き抜けていきます。

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(↑普段の神楽殿。)

 

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 突っ切る。

 

神楽殿を抜けそのまま幣拝殿の中へ。

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あとは、再び神事が始まり、祝詞が口上されます。中の様子は見えないのでどんなことをしているのか見ることはできませんでした。残念。ですが、祝詞を聞いているだけで清々しく心が洗われていくような気がしてきます。

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見えないところで何かやっています。

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神事終了後、幣拝殿の普段空いていない戸が開いていたので、そこから御宝殿を撮影。何やら神事はここで行われていた様子。神宝などが納められている場所のようです。諏訪大社に本殿はないので、ここが春宮の心臓部といったところでしょうか。

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儀式が終わったら再び御神輿は秋宮に帰っていきます。

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神様はもう春宮に鎮座されたようなので、秋宮までは同行せずお見送り。次は8月1日のお舟祭りに必ず来ますと誓って、そのまま下諏訪駅に向かいました。下諏訪駅の構内から富士山が見え、神事の余韻と相まって、何とも崇高な気分で家路につきました。

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以上、2月の遷座祭のレポートでした!

長くなりましたが、最後までご覧いただきありがとうございました!

勝ったのはどっち?春宮と秋宮で行われた大工の腕比べとは⁉

諏訪大社下社には春宮秋宮の2つがあり、およそ1キロメートルくらい離れた場所に位置します。そこでは遷座祭と言って神様を春宮から秋宮へ、また秋宮から春宮へと半年ごとに移動させるお祭りもあります。この2つの神社にはなにやら名工たちによって繰り広げられた逸話があると聞いたので自分なりに調べてみました。よかったらご覧ください。

(下の写真は下諏訪の街の中を練り歩き神様が移動する2月1日の遷座祭。観光客はほぼいなかった。8月の遷座祭・お舟祭りの方が賑やからしい。)

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宮大工から生まれた宮彫の流派

日本の伝統彫刻には大きく分けて、仏像彫刻と宮彫(みやぼり)の2つがあります。宮彫とは神社仏閣を飾る装飾彫刻のことです。当初、宮大工の棟梁が簡単な模様や飾りを彫っていましたが、それが発展し専門的になっていきました。後に流派が生まれるようになり代表的なものは、江戸時代前期に大隅流後期に立川(たてかわ)流がでました。

 大隅流は平之内大隅守(へいのうちおおすみのかみ)がおこした流派で、日光東照宮や湯島聖堂の造営などの幕府の仕事を請け負いました。その大隅流から棟梁の立川小兵衛(たてかわこへえ)が分派し江戸に立川流がおこり、後にこちらも発展し幕府の仕事を任されるようになります。

 

ちなみに・・・。

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こちらは湯島聖堂。先ほど湯島聖堂の造営に大隅流がかかわったと説明しました。残念ながら元の聖堂は4度の江戸の大火に遭い、その都度修復したようですが1923年の関東大震災で焼失してしまったそうです。現在の建物は寺社建築の第一人者・伊藤忠太が寛永年間の建物を参考に、鉄筋コンクリート造りで再建したものです。

 

諏訪の名工・立川和四郎富棟あらわる!

信州の諏訪に桶職(桶や井戸回りの設備を造ったり修繕したりする大工)である塚原家がありました。その子・和四郎は江戸へ出て立川流の立川小兵衛に奉公します。天賦の才もあり、そこでめきめきと腕を上げた和四郎は、棟梁の小兵衛に認められ立川姓をさずけられ立川和四郎富棟(たてかわわしろうとみむね)を名乗ることとなりました。

 

和四郎はいったん郷里の諏訪に戻り独立しますが、諏訪で全盛を極めていた大隅流の彫刻をみて自分の未熟さを痛感。再び江戸へ戻り、宮彫師・中沢五兵衛に師事し彫刻の腕を磨きます。そして数年後、故郷に戻り棟梁として新しく諏訪に立川流をおこし、後年こちらの立川流が隆盛を極め、立川流と言えば諏訪の立川流を指すようになっていきます。

 

春宮と秋宮での腕比べ。

和四郎が江戸で宮彫りを学び再び諏訪に戻った頃、春宮と秋宮の改築が諏訪藩によって計画されました。藩主は大隅流立川流を呼び寄せ、両者に同じ絵図面を渡し、同じ規模、同じ期間で同時に二つの社を作ることを命じ、互いに彫刻の腕を競わせることにしました。春宮は大隅流の地元の宮大工・柴宮長左衛門が、秋宮は立川流の和四郎・つまり立川和四郎富棟が棟梁を務めました。

 

春宮1779年、秋宮1781年に完成し、いずれも長野県下諏訪町に国重要文化財として現存しています。

 

それでは比較してみましょう!

諏訪で全盛を誇っていた大隅流新興のイケイケの立川流。皆さんはどちらがお好みでしょうか?

 

 

大隅流と立川流の比較

春宮幣拝殿(大隅流)

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秋宮幣拝殿(立川流)

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どちらもほぼ見分けがつかないほど似ています。幣拝殿とは幣殿と拝殿が一体となった建物で、お賽銭のすぐ横に供物を供える台がある変わった造りになっています。

それでは、彫刻も見てみましょう。

 

 

春宮の彫刻(大隅流)

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秋宮の彫刻(立川流)

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皆さんはどちらが好きですかね。私は木鼻の獅子は大隅流の方が表情が豊かで好きですけどあとは立川流ですかね。写真が悪いのもありますが、大隅流はごちゃごちゃしていて何なのかよくわからなくなっているような気が・・・。

結果、当時も立川流の方が評判が良く、秋宮は立川和四郎富棟の代表作となり、以後立川流が大隅流を圧倒して勢力を拡大していくきっかけとなりました。

 

この後、息子の二代目立川和四郎富昌(とみまさ)も父親に勝るとも劣らぬ実力の持ち主で、諏訪を飛び出し遠方でも活躍するようになり、善光寺秋葉神社などを残してました。また、静岡浅間神社では富棟からはじまる親子孫三代にわたり造営にかかわり、さらに名声を広げ、愛知県豊川稲荷、半田の山車や岐阜県高山の屋台なども手がけるまでなっていきます。

 

ちなみにこちらは長野県善光寺。

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調査は以上となります。まさか春宮と秋宮に昔の宮大工たちの流派とプライドをかけたこんな熱い戦いが繰り広げられていたとは思いもよりませんでした。神社には行くけど、神社の彫刻はあんまり興味ないという方も、大隅流か立川流かの説明をもし目にする機会があれば興味の入り口になるかもしれませんのでぜひチェックしてみてください!

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

良かったらこちらもどうぞ↓

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奈良時代の女性はどんな化粧をしていたのか?

私の昔の高貴な日本人女性の恰好と言ったらこんなイメージでした。

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長く垂れ下がった髪。豪華で重そうな十二単(じゅうにひとえ)。おしろいで真っ白な顔に紅を塗った口元と変な眉。出てくるのは百人一首で描かれているようなこんな女性のイメージ。

 

上の写真は東京国際フォーラムで展示されたジオラマです。もっとさかのぼれば日本の昔の女性装束と言ったら卑弥呼の時代あたりの布切れを巻いて腰を紐で結んでる姿が浮かびます。ところが展示場を回っていると見慣れない姿をした女性の人形が。それがこちらです。

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えっナニコレ。外国人?

 

と思ったのですが、調べてみると冒頭の装束は日本独自の文化が発展した平安時代以降の衣装のようで、上の二枚の写真は仏教が伝来したころ(飛鳥時代)から平安時代の初め頃までに見られた中国の宮廷文化の影響を受けた日本女性の装束だったようです。(髪が茶髪なのは色々検索しても情報出てこないし、当時外国人女性が給仕していたとも考えられないので最後まで謎でした・・・。)

 

当時、流行りの髪形は頭上一髻(ずじょういっきつ)と呼ばれ、頭上で髪の毛を一つに結わえたものです。はじめは男性の髪型でしたが、後に女性にも広まったようです。髻(もとどり)の大きさは身分・男女によって大きさ等に違いがあったとか。ジオラマの中の女性にはこの髪型はいなかったのですが、仏像にもみられる髪型ということなので仏像の写真を載せておきます。

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Wikipediaより転載

ガンダーラの仏立像(1-2世紀)東京国立博物館

 もう一つ主に女性たちの中ではやったのが頭上二髻(ずじょうにきつ)で髻(もとどり)が二つのタイプです。それが先ほどのジオラマの女性の髪形です。

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個人的には平安時代以降の姿よりもこちらの方がずいぶんおしゃれに感じます。

ふと思ったのが、そういえば「浦島太郎」の乙姫様って絵本とかだとこんな感じの姿だったなということ。竜宮城は中国の宮廷をイメージしたのだろうか。それとも飛鳥・奈良時代の日本の宮中などをイメージしたのだろうか。ふつふつと興味が湧いてきましたが、それはまた別の機会に。

 

 


それでは次にお化粧を見てみましょう。日本にこんな文化があったんだ。額と口元の点は一体何なのか調べてみました。

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どうやら上の写真に見られる顔に描かれた額の4つの点は花鈿(かでん)、口元の2つの点はよう鈿(ようでん)といわれるものらしいです。起源は諸説あるようですがその一つを紹介します。

中国三国時代の呉国に鄧夫人という美女がいて、誤って頬を傷つけられてしまいました。すぐに手当てしましたが、その傷は完全には治らず赤い斑点が残ってしまいます。ところが、その斑点が逆に魅力的で美しいと評判になり、他の女性たちまで真似するようになっていったとか。

泣きぼくろがかわいいとか、口元のほくろがセクシーとかいってメイクで描いたりするのと同じですね。元々は中国の文化だったようですが、この花鈿(かでん)・よう鈿(ようでん)や流行の髪型まで日本に入ってきたことを思うと、国境をこえた女性の美意識の高さに驚かされます。

 

最後にYouTubeで平城京天平祭の動画があったので張っておきます。頭上一髻(ずじょういっきつ)、頭上二髻(ずじょうにきつ)、花鈿(かでん)よう鈿(ようでん)が確認できます。ただとにかく美人がみたいという人にもおすすめ。


平城京天平祭 2018 華やかな平城京天平行列 NARA JAPAN

 

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

 

万葉集にはどんな歌が詠まれているのか?  ~令和の由来ともなった「梅花の宴」~

前回の記事では令和の由来について東京国際フォーラムに展示されていた解説とジオラマを参考に紹介しました。

今回は令和の年号の典拠となった万葉集の中の『梅花の宴』の場面で歌われた32首の歌を紹介します。

 

が、ちょっとその前に万葉集とはどのような歌集なのかを簡単に調べてみました。

 

Q 『万葉集』とはいつ頃編纂された歌集なのか?

A 7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された(わが国最古の歌集)。長年にわたり複数の編者の手が加わり、最終的に大伴家持(おおとものやかもち)の手によって完成されたとされている。

 

Q 誰が詠んだ歌なの?

A 作者は天皇、貴族から下級官人、農民、防人など身分を問わず様々。日本各地から歌が集められ、収められている。

 

Q どのくらいの歌が収められているの?

A 約4500首。全20巻にまとめられている。

 

この『万葉集』の中の「梅花の宴」のシーンは梅の花の下で行われた宴会で詠まれた32首が収められています。場所は、今の福岡県に置かれていた大宰府の長官・大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で、庭でお酒や食事を楽しみながら歌を詠んだ様子が序文に描写されています。下のジオラマでその時の様子を再現しています(東京国際フォーラム展示)。

(序文の現代語訳は冒頭の前回記事のリンクから確認できます。)

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およそ1300年程前の日本人は梅の花を前に一体どんなことに感動し、どのように表現したのでしょうか。それでは32首の和歌と現代語訳を見てみます。

 

 

①正月(むつき)たち 春の来たらば かくしこそ 梅を招きつつ 楽しきを経(へ)め

(正月になって春がきたならば、今後も毎年このように梅を見ながら楽しい事の限りを尽くしましょう。)大弐紀卿

 

②梅の花 今咲ける如(ごと) 散り過ぎず 我が家(へ)の園(その)に ありこせぬかも

(梅の花よ。今咲いているように、いつまでも散ってしまわずにこの家の庭に咲きつづけてくれないか。)少弐小野太夫

 

③梅の花 咲きたる園の 青柳は かづらにすべく 成りにけらずや

(梅の花の咲いているこの庭の青柳もまた、髪飾りにすることができるほど立派になったではないか。)少弐栗田太夫

 

④春されば まず咲く庭の 梅の花 ひとり見つつや 春日(はるひ)暮さむ

(春になると最初に咲く庭の梅の花を、私ひとりで眺めつつ春の日を過ごすなどどうしてできようか。)筑前守山上太夫(山上憶良)

 

⑤世の中は 恋繁(しげ)しゑや かくしあらば 梅の花にも 成らましものを

(世の中は恋に苦しむことが多いものだ。それならばいっそ梅の花にでもなってしまいたいものだ。)大豊後守大伴太夫

 

⑥梅の花 今盛りなり 思うどち かざしにしてな 今盛りなり

(梅の花は今が盛りだ。親しき人々よ、かんざしにして飾ろう。今が盛りだ。)筑後守葛井太夫

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⑦青柳(あおやなぎ) 梅との花を 折りかざし 飲みての後(のち)は 散りぬともよし

(青柳と梅の花を折って髪飾りにして、酒を飲んだその後は梅の花はもう散ってしまってもかまわない。)笠沙弥

 

⑧わが園に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より雪の 流れくるかも

(我が家の庭に梅の花が散っている。それとも天から流れるように雪が降っているのだろうか。)主人(大伴旅人

 

⑨梅の花 散らくはいづく しかすがに この城(き)の山に 雪は降りつつ

(前の旅人の歌をうけて)どこに梅の花が散っているのですか。それにしても、まだ春は浅く、この城の山には雪が降り続いていますよ。(旅人の比喩に調子を合わせている)大監伴氏百代 

 

⑩梅の花 散らまく惜しみ わが園の 竹の林に うぐいす鳴くも

(梅の花が散るのを惜しんで、私の庭の竹林にうぐいすが鳴いているよ。)少監阿氏奥島

 

⑪梅の花 咲きたる園の 青柳(あおやぎ)を かづらにしつつ 遊び暮らさな

(梅の花の咲いている庭の青柳を髪飾りにして、梅の花を眺めつつ一日を遊び暮らしましょうよ。)少監土氏百村

 

⑫うち靡(なび)く 春の柳と 我が宿の 梅の花とを いかに分かむ

(たなびいている春の柳と家の梅の花と、どちらが優れているのかなど、どうして判断できようか。)大典史氏大原

 

⑬春されば 木末隠(こぬれがく)れて 鶯ぞ 鳴きて去(い)ぬなる 梅が下枝(しづえ)に

(春になると、梢の茂みに隠れている鶯が、鳴いては飛び移ったりしている。梅の下枝に。)少典山氏若麻呂

 

⑭人ごとに 折りかざしつつ 遊べども いや珍らしき 梅の花かも

(みなそれぞれ(枝を)折り髪飾りにして遊んでいるが、飽きることがなくて、ますます素晴らしい梅の花だなあ。)大判事丹氏麻呂

 

⑮梅の花 咲きてちりなば 桜花 継ぎて咲くべく なりにてあらずや

(梅の花が咲き散ってしまったならば、つなぐように桜の花が咲きそうになっているではないか。)薬師張氏福子

 

⑯万代(よろずよ)に 年は来経(きふ)ども 梅の花 絶ゆることなく 咲き渡るべし

(はるか長い歳月を経ても、梅の花は絶えることなく咲き続けるだろう。)筑前介佐氏子首

 

⑰春なれば 宣(うべ)も咲きたる 梅の花 君を思ふと 夜眠(よい)も寝(ね)なくに

(春になってなるほどよく咲いた梅の花よ。君がいつ咲くかと自分は夜も眠れなかったのに。)壱岐守板氏安麻呂

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⑱梅の花 折りてかざせる 諸人(もろひと)は 今日の間(あひだ)は 楽しくあるべし

(梅の花を折り髪飾りにして遊ぶ人々は、今日一日がさそかし楽しい事だろう。)神司荒氏稲布

 

⑲年のはに 春の来たらば かくしこそ 梅をかざして 楽しく飲まめ

(毎年春が来たならばこうして梅をかざして楽しくお酒を飲もう。)大令史野氏宿奈麻呂

 

⑳梅の花 今盛りなり 百鳥の 声の恋しき 春来たるらし

(梅の花は今が盛りだ。色々な鳥たちの声の恋しい春がやってきたようだ。)小令史田氏肥人

 

㉑春さらば 逢はむと思いし 梅の花 今日の遊びに あひ見つるかも

(春になったら会おうと思っていた梅の花に、今日のこの宴の席で出会えましたよ。)薬師高氏義通

 

㉒梅の花 手折りかざして 遊べども 飽き足らぬ日は 今日にしありけり

(梅の花を手折り髪に飾って遊んでも、遊び足りない日とはまさに今日のことだなあ。)陰陽師磯氏法麻呂

 

㉓春の野に 鳴くや鶯 懐(なつ)けむと 我が家(へ)の園に 梅が花咲く

(春の野に鳴く鶯。その鶯を呼び寄せようと我が家の庭に梅が花を咲かせている。)算師志氏大道

 

㉔梅の花 散り乱(まが)ひたる 岡傍(び)には 鶯鳴くも 春片(かた)設(ま)けて

(梅花の散り乱れる岡の辺りに鶯が鳴き、春がますます深まっていく。)大隈目榎氏鉢麻呂

 

㉕春の野に 霧立ち渡り 降る雪と 人の見るまで 梅の花散る

(春の野に霧が立ち渡って、雪が降るのかと人が思うほどに梅の花が散っている。)筑前目田氏真神

 

㉖春柳(はるやなぎ) かづらに折りし 梅の花 誰(たれ)か浮(うか)べし 酒杯の上に

(髪飾りにするために折った梅の花を、酒盃の中に誰が浮かべたのだろうか。)壱岐目村氏彼方

 

㉗鶯の 声(おと)聞くなへに 梅の花 吾家(わぎへ)の園に 咲きて散る見ゆ

(鶯の鳴く声を聞くのにつれて、梅の花が我が家の庭に咲いては散るさまが見える。)対馬目高氏老

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㉘我が宿の 梅の下枝(しずえ)に 遊びつつ 鶯鳴くも 散らまく惜しみ

(我が家の美しく咲いた梅の下枝で遊びながら鶯が鳴いている。梅の散るのを惜しんで。)薩摩目高氏海人

 

㉙梅の花 折りかざしつつ 諸人(もろひと)の 遊ぶを見れば 都(みやこ)しぞ思ふ

(梅の花を折りかざして人々が遊ぶのを見ていると、都のことが思い出される。)土師氏御道

 

㉚妹(いも)が家(へ)に 雪かも降ると 見るまでに ここだも乱(ま)がふ 梅の花かも

(恋しい人の家に雪が降るのではないかと思うほどに散り乱れる梅の花だ。)小野氏国堅

 

㉛鶯の 待ちかてにせし 梅が花 散らずありこそ 思ふ子がため

(鶯が開花を待ちわびていた梅の花よ。散らずにいてほしいものだ。わが愛するひとのために。)筑前掾門氏石足

 

㉜霞(かすみ)立つ 長き春日(はるひ)を かざせれど いや懐かしき 梅の花かも

(霞の立つ長い春の日に髪飾りにしているが、なおも恋しい梅の花だ。)小野氏淡理

 

(以上、東京国際フォーラム展示解説・現代語訳を参考に意訳)

 

 

いかがだったでしょうか。現代の生活のような多様性はないので、みな似通った語彙が使われていますが、それでも様々な角度から、おもいおもいに気持ちを表現しています。新しい発見だったのは梅花や柳で、髪や冠を飾るのが昔の人にとってはこの上ない贅沢な遊びだったことが読み取れることです。美術館やコンサート会場なんかなくても、花とお酒と自作の歌で楽しめるその精神性は豊かでうらやましく思います。

 

今まで和歌を作ろうなんて思いもしませんでしたが、梅の咲く季節に自分でも和歌を作ってみるのも悪くないかもしれないと思いました。皆さんも梅を見たらその思いで一句作ってみてはいかがですか?

 

ここで一句・・・。

 

 

 

 

 

・・・と思いましたが何も浮かばない。びっくりするほど浮かばない。梅がないからだな・・・。たぶんそうだ。来年、梅が咲くまで持ち越しです・・・。きっと来年いいのが思い付くはずです。たぶん。

 

 

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腸と脳のつながりを知れば痩せる

世の中に腸の調子を整えると謳う健康食品はものすごい数の種類のものが宣伝・販売されています。ですから、なんとなくお通じにいいとか、痩せるとか、健康にいいとかイメージするとおもいますが、具体的に何がどういいかはよくわかってないという方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。ただただ、なんとなくそういうものを口にするのと、どう体に効くかを知って口にするのとでは全く効果が違います。例えば、ボディービルダーがトレーニングをする時、この動きがどこの筋肉に効いているかを知り、そこを意識して、理想的な筋肉をイメージするとより筋肉への効果が大きくなるそうです。それと同じように、腸がどういう仕組みでできていて、腸にいい物を食べるとどこにどう作用するのか理解すると、イメージが効果を増大させるのです。

 

それではまず、腸内環境を整えるということが心と体を最高のコンディションにするために重要な役割を担っているということから説明します。体は腸内環境が整えば、やる気や集中力が高まり、活力がみなぎってくる仕組みになっているんです。

 

脳腸相関という言葉があり、脳と腸には深い関係があることが知られています。

脳の状態が腸に影響を与えるのはわかりますよね。緊張や恐怖でお腹キュウっとなったり、お腹壊したりすることありますよね。それも脳腸関係なんですが、逆に腸の状況も脳に影響を与えると言われています。

 

それには生物の進化の順番がかかわっています。地球上ではまず初めに何かのきっかけで単細胞生物が現れます。それが多細胞生物になり、様々な動物に進化していきました。その進化の過程で一番最初に誕生した臓器がだと言われています。ほとんど腸しかないような生き物がまず誕生して、生存競争の中で、少しでも効率的に餌を見つけられるよう腸が進化していきます。そのよう過程で生まれた多様な機能が枝分かれし、その役割が特化され発達したものがその他の臓器なのです。

 

つまり、脳も腸から生まれた臓器の一つなのです。

 

そう考えると生き物は腸が本体でその他の臓器は機能を高めるオプションにすぎないと考えることもできるのです。脳が体の中心という考え方から脱し、腸を気遣った生活が、強い心と体を作るために必要なのです。

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では、具体的にどのような仕組みで腸内環境が、脳に良い影響を与えるのでしょうか。科学的な視点で見てみましょう。

 

脳内の神経伝達物質にセロトニンというものがあります幸福感を与えたり、やる気をおこしてくれる物質です。セロトニンを作るためには食べ物のたんぱく質を分解し、トリプトファンという物質を作る必要があります。それを材料にセロトニンを製造するのですが、その製造工程で様々なビタミン類を必要とします。

そのビタミン類を食品の中から取り出す仕事をしてくれているのが腸内細菌なのです。

 

つまり、いくら口からたんぱく質とビタミンを体の中に取り込んでも、腸内細菌が元気に働かなければ、いつまでたってもセロトニンは作られないのです。日々の気分も腸内細菌の機嫌次第と言えるでしょう。家族や友達、社会に支えられて生きていると日々感謝して生きている人でも、さすがに自分の心も体も腸内細菌に支えられて生きていると感謝して生きてはいないと思います。感謝しましょう。そうすれば、腸に悪い不摂生もできなくなってくると思います。

 

さらには睡眠を促すメラトニンという物質もこのセロトニンから作られています。よい睡眠も腸内細菌のおかげなのです。ぐっすり眠れたら再び、腸内細菌にありがとうと言ってあげましょう。

 

それでは腸内環境を整えるにはどうすればいいのか具体的な方法に興味のある方は続きをどうぞ↓

 

 

 

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腸内細菌を味方にすれば痩せる

腸の中には1000兆個の腸内細菌がいると言われています。重量にするとなんと1.5キロから2キロもあるそうです。生まれたての赤ちゃん4~6人分と思うとぞっとしますが、それが全部自分の味方になればこんなに心強いことはありません。味方にできるかどうかは普段の生活次第なのです。

 

体内の腸内細菌は人によって違いますが、およそ3万種類あるといわれ、大きく善玉菌悪玉菌日和見菌の3つに分かれます。おそらくこの中で一番知名度の低いのは日和見菌ですが、実は腸内細菌の4分の3がこの日和見菌です。ちなみに次に多いのが悪玉菌で、一番少ないのが善玉菌です。日和見菌は名前の通り、善玉菌、悪玉菌の様子をうかがい、有利な方に加勢するというお調子者です。数の少ない善玉・悪玉菌ですが、どちらが優位になるかで腸全体の環境が全く変わってしまうのです。しかも、善玉菌優位の環境では悪玉菌さえ体に有用な働きをするようになるので、すべてが自分の体の味方に付くことになるのです。

 

ただし、注意が必要です。それなら乳酸菌系の栄養機能食品をたくさん食べて、善玉菌を増やそう考える人もいるとおもいます。しかし、その前にやるべきことがあるのを忘れてはいけません。腸内細菌にとって重要なのは腸内環境で、いくら口から善玉菌そのものを取り込んでも腸内環境が悪ければ活発に働くことができず死滅し、また元の悪い環境に戻ってしまうのです。どんないい種でもいい土壌と適した気候でなければいい実をつけない。それと一緒です。腸内を善玉菌の屍の山にしないためにも環境を整えることが何よりも大切です。

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日々、腸内環境を最高の状態に保とうという姿勢で自分のお腹と向き合っていきましょう。それでは腸内環境を整え、腸内細菌にとってよい土壌を作るために具体的にどのような方法があるかを調べてみました。

 

 その方法はこちらです↓


 

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食物繊維の役割を知れば痩せる

腸内環境を整えるには善玉菌を優勢にすることが必要です。

どうすれば善玉菌が優位になる腸内環境をつくれるのでしょうか?一番シンプルでよく知られる方法が食物繊維をたくさん摂るということです。食物繊維が体の中でどう働いているのかを知って、イメージできるようになりましょう。

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食物繊維について理解を深めて、食物繊維を多く含んだ食事をとる時にサプリメントを飲むような、もしくは腸内細菌(善玉菌)に最高のエサを与えるような、わくわくした気持ちで、食物繊維を口の中に入れるようになりましょう。

 

まず、食物繊維が体に与える効果を説明します。食物繊維をとることは腸内細菌全体の数の増加につながり、善玉菌優位の腸内環境を生み出すことができます。また善玉菌優位の腸内環境では他の日和見菌(利害のない菌)や、なんと悪玉菌さえも、すべて体に有益に働く味方になることが分かっています。きれいな腸で腸内細菌の数が増えることは腸の総合力アップにつながるのです。

 

それではなぜ食物繊維が腸内細菌を増やすのか説明します。

 まず、食物繊維には水に溶けやすい水溶性と、溶けにくい不溶性の2種類があります。

 

水溶性食物繊維腸内細菌の大好物です。大腸内で発酵・分解され、腸内細菌を増やしてくれます。海藻・豆類・ネバネバ系の食品に多く含まれます。細かく食材を覚えようとすると偏った食事をしてしまいがちなので、ざっくりとした覚え方のほうがいいと思います。これさえ食べればいいなんてものはないので、偏った摂り方をしないように気を付けましょう。

 

一方、不溶性食物繊維は体内で膨らんで腸内のごみをからめとってくれます。腸の清掃員的な役割を果たしてくれるわけです。それが集まって最終的には大便になるのですが、意外にも大便に含まれる食物繊維などの未消化の食べかすは数パーセントにすぎません。あとの大半は水分ですが、なんと残りは死んだ腸内細菌と古くなった腸壁細胞のカスでできているのです。つまり、不溶性食物繊維は腸内をアカスリのように擦り取って吸着させ、元気な腸壁によみがえらせてくれるのです。そうすると、同じ重量のものを食べていても、食物繊維の量が多いほど大便の量が多くなってきます。たくさん出たらにんまりしてください。

 

この清潔な腸内が善玉菌を優位に導く腸内環境なのです。不溶性食物繊維は野菜はもちろんキノコ類・豆類・ネバネバ系の食品に多く含まれます。なので、不溶性・水溶性食物繊維の両方を上手にとるには豆類・ネバネバ系、海藻・キノコを摂取するのを心掛ければ大丈夫なようです。

 

と言ってもこだわりすぎないで下さいね。1日ジャンクフードで過ごしてしまっても、

次の日また気を付ければいいわけで、完璧にやることにこだわらず意識し続けることが大切です。

 

動物性のたんぱく質は腸内で腐敗し腸内環境を悪くするという説もありますが、肉や魚、卵にも必要な栄養素が多く含まれます。食物繊維の力を信じて、同時に摂れば問題ありません。むしろ食べたいのに我慢するストレスや、肉や魚を食べるのは駄目なことだという否定形の考えが持つネガティブな負の力の方が体に悪い気がします。

ただ、体質にもよるので最終的には何を食べるかは自分の体の反応を、自分の体の声を感じてみてください。

 

私自身も菜食生活をしてみたこともありますが、完全に肉魚を抜いてしまうと、どうも調子が悪いので少なめに肉魚を摂るようにしてみたりと色々試行錯誤しています。

 

 以上摂るべき食材について話してきました。

しかしとってはいけないものもあるのです。詳しくは下の記事をどうぞ。

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