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空腹の大切さを知れば痩せる

 

痩せるために必要なことは、

食べ過ぎないことです。

 

こんなつまらないことを書いて

どうするんだと思うかもしれません。

しかし、この言葉、金言です

ダイエットがつらい、苦しい、空腹で眠れないという方に

少しでも参考になればと記事を書いてみました。

いろんなダイエット法を試してみたが続かない。

どうすれば我慢できるのか?

我慢にはコツがあります。

それは何かで空腹を紛らわすことではなく考え方を変えること。

ジョギングだっていやいややれば拷問ですが、

楽しんでやれば心がリフレッシュします。

空腹を現代の科学を通して見れば必ずそのように意識が変わります。

まとめてみたのでぜひ読んでみてください。

 

 

 

 

お腹が鳴るのは掃除が始まる合図です

空腹になるとお腹がグーグーなります。

これは胃腸が激しく収縮するときになる音です。

しかし空腹時、食べ物がお腹にないのに

なぜ胃腸は活発に動いているのでしょうか。

それは胃腸の壁の細胞を掃除をするためです。

激しく収縮することでアカスリのように

古い細胞壁は剥がれ落ち、

新しい細胞壁に変わっていくことを促します。

間食に次ぐ間食で常にお腹の中に食べ物が入っている人は、

胃腸がこの掃除の時間を作れません。

コンディションの悪い胃腸で休まず消化と吸収を繰り返しているため、

腸内細菌が活発に働けない環境になってしまいます。

空腹は大切なお掃除タイムなのです。

空腹時には、ぜひ最高のデトックスをしてるんだと思って、

空腹を味わってみてください。

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適度な空腹は最高のアンチエイジング

空腹の効用はこれだけではありません。

その一つは空腹のまま寝ると

善玉ホルモンのアディポネクチンが分泌され、

成長ホルモンを活性化させるという効果です。

成長ホルモンは若返りのホルモンといわれていて、

血管を掃除し、肌や髪の艶もよくしてくれます。

食べるのを我慢すると思うとつらいですが、

今、まさに若返りのホルモンが活性化し、

外見だけでなく内側からも綺麗になっているんだ

と思うと空腹が楽しくなります。

(ちなみにアディポネクチンを高める食材は

大豆加工品、特に豆腐がよいと言われています。)

 

 

 

 

空腹は長生き遺伝子を覚醒させる

空腹の効用はまだあります。

カロリーを適度に制限し

持続的に空腹感を持てるような食生活をしていると

長寿遺伝子(サーチェイン)が働き出し、

人間の細胞内にあるミトコンドリアという器官の量を増やしてくれるのです。

ミトコンドリアの役割は食べ物から吸収した糖や脂質と

肺から吸収した酸素を反応させ

頭や体を動かすためのエネルギーの素を生み出すことです。

つまり、空腹感はミトコンドリアを増やし、

持久力のあるエネルギッシュな身体を作り出すのです。

反対に暴飲暴食を繰り返していると、

フル回転のミトコンドリアはオーバーヒートし、

短い期間で死滅してしまいます。

エネルギーに変換できない栄養がどんどん体に蓄積され、

ただただ体重だけが増えていく代謝できない体になってしまうのです。

 

節制すれば、エネルギッシュな締まった身体になり、

食べ過ぎれば、うまくエネルギーを作れない

鈍い身体になってしまうのです。

 

 

 

 

断食すれば最高の体になるの?

でも、これは断食を勧めているわけではありません。

プチ断食をしたこともありますが、

個人的にはそれほど体調がいいとは感じませんでした。

人それぞれ感じ方は違うと思いますが、

食べ過ぎない、間食をしない、深夜に飲食しない

ということを意識できれば十分だと思います。

それは食物繊維による腸内掃除も大事だし、

ミネラル・ビタミンで体内のエネルギーをしっかり代謝させることも大事だからです。

何日か断食すると黒いドロドロの宿便が出てきて、

深いとこまでこびりついた腸の汚れを取り除くなんて書いてある本も読みましたが、

断食は腸を極端に使わず腸が動かなくなるため、

壊れた腸壁細胞や死んだ腸内細菌が長くお腹にとどめます

腸内環境が悪化してしまい、

悪玉大腸菌の影響で黒いドロドロの便が出るとも考えられます。

東洋医学でも水に浮かぶ食物繊維豊富な便が健康の証とされているのも

関係のない話ではないように思います。

別記事ですが腸内環境を整える方法は下の関連記事をご覧ください。


 

とにかく健康法に一発逆転なんてないんです。

日々の節制の積み重ねで

強い体を作ることを考えましょう。

そうすれば、間違った健康法に

手は出すことは少ないんじゃないでしょうか。

 

元気で若々しいご長寿の方に健康法を尋ねたインタヴューで

何か特別なことをおっしゃっている方をあまり聞いたことがありません。

腹八分目。

昔から言われている当たり前の節制方法こそが

最高の健康法なのではないでしょうか。

 

カテゴリーの「ダイエット」で他にもまとめたものがあるのでよかったらご覧ください!

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 

 

<おすすめ図書>

 藤田さんは腸内細菌とダイエットの関係を研究している第一人者。重複する内容もあるので何冊もそろえる必要はないと思いますが、一回は読んでおきたい内容です。食生活で不調になる仕組みがわかれば、食生活が乱れてなんとなく不調だなと思うときに、あっ、あのせいかもしれないとすぐ気づくことができます。専門用語なども多くなく、新書だと読みやすいと思いこの一冊を選びました。これ以外でもこの方の本はおすすめです。(ただ、著作が多いのでたくさん買っても結構重複する部分あるかもしれません・・・。)

Amazonレビューも参考になるので下の画像をクリックして見てみてください。

発作性心房細動の薬の副作用⁉息苦しくて眠れない!その時とった私の行動。

似たような経験をする人の少しでも参考になればと思い今回はいつもとジャンルが違いますが、ここ数日の体験を記しておこうと思います。

 

実はわたくし、何年も前から不整脈(発作性心房細動)持ちで年に一度は発作が起こる状態でした。最近は年に何度も発作を起こすようになり、少しきつめの運動をすると動機や息切れをおこすような調子の悪い日が多くなっていました。さすがにこれはまずいかなと思い病院に行くことに決めました。

 

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病院でエコー検査をしてみると心臓の壁が中程度厚くなっており、発作が起こったすぐ後の検査だったこともあるのか心機能が落ちているとのこと。今までは発作時のみ頓服薬を飲むよう薬を持っていましたが、心臓の負担を和らげる薬、血栓ができないように血をさらさらにする薬を常用するよう薦められ、その日から服用を始めました。

 

ビソプロロールフマル酸塩錠0.625㎎「トーワ」

エナラプリルM錠2.5「EMEC」2.5㎎

エリキュース錠5㎎

 

今思うとその翌日あたりから眠ろうとすると眠りに落ちかける瞬間にびくっと体がけいれんし、眠りに入れなくなりました。疲れているとき、寝ている最中ビクッとなって起きてしまうあの現象が、一晩中続く感じです。なんとか朝方3,4時間ほど眠れましたが胸苦しさや、息苦しさで目を覚ましてしまうのです。眠った気もほとんどせず、げっそりとした気持ちで朝を迎えました。ところが昼間は安静にしていれば何ともなく普段通り過ごすことができるのです。普通に過ごせるので、昨日は調子悪かったのかなと思い翌晩、眠ろうとベットに入ったのですが、今度は眠りに落ちるのと同時に息ができなくなり眠れなくなるという症状が現れました。睡眠時、仰向けで寝ると舌が下がってきて息苦しくなることは以前からあったのですが、それとは違い、呼吸するスイッチが切れてしまうかのように眠りに落ちると同時に呼吸が止まってしまうのです。これもまた一晩続き結局その日は一睡もできませんでした。

 

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そんな日が4日ほど続きさすがにこのままではまずいと思い、かかりつけのお医者さんにいって検査をしてもらいました。心電図、エコー、血液検査をするのですが、これと言って新しい異常は見当たらないとのこと。症状をいくら説明してもぴんと来ていない様子で、「ほんとに息が止まってるのなんて、自分でわかる?」なんて問い返される始末。それでもこちらは眠れないので眠れるような薬だけでも出してほしいとお願いし、何も答えが出ぬまま安定剤だけ処方してもらいました。

 

その晩もやはり同じような症状で眠れなかったので安定剤を飲んでみました。最初は息苦しさで眠りに付けませんでしたが、なんとか5,6時間は眠ることができ、まったく眠れないという恐怖からは解放されました。しかし、寝起きは頭や胸が痛く、体調がいいとはとてもいいがたい状況でした。

 

自分でもなんとかネットで検索して似たような症状がないか検索してみると、「中枢性睡眠時無呼吸症候群」という病気を発見。この病気は心不全(不整脈も含む)の人に多いそうで、脳の延髄にある呼吸中枢におこる異常で、何らかの影響で中枢からの指令が出なくなり睡眠中の呼吸が浅くなったり、呼吸できなくなったりする病気なのだそうです。普通の睡眠時無呼吸症候群は気道が詰まって呼吸が止まってしまうのに対し、この「中枢性」の無呼吸症候群は呼吸をするという脳からの指令が止まってしまうのです。まさに自分の表現したかった症状と合致したのでこれだと思いました。

 

中枢性睡眠時無呼吸症候群の原因はよくわかっていないようなのですが、心不全の場合は心機能の低下で肺の換気のが上手くいかないとかなんとか。素人が調べてもよくわからなかったのですが、要するに心臓が弱ってることに原因があるらしいのはわかりました。

 

そこで思ったのが処方されている薬の作用。心臓の負担をやわらげる薬なのですが、血圧を下げ脈をゆっくりにする作用があると薬の説明書に書いてありました。もしかして、この薬の副作用ってことはないだろうか。幸いにも自分の不整脈は年齢からしてもすぐに命にかかわるというようなものではなかったので、不整脈の薬を一度全部やめてみました。(ふつうは絶対かかりつけの先生に相談しないとだめです!)すると次の日の夜から呼吸の苦しさが落ち着いてきて安定剤で比較的すっきりと眠ることができました。寝ると呼吸が止まる怖さから安定剤は必要でしたがその翌日からは安定剤なしでもなんとか眠れるようになり、今では元々の状態まで戻すことができました。

 

ただ、この状態は振り出しに戻っただけで不整脈自体は何の解決もしていないのですが、一時の地獄からは解放されることができました。体に合わない薬は怖いということを実感しました。もちろんこれからまた主治医の先生と相談してどうするか決めていかないといけないです。しかし、セカンドオピニオンもと思い、循環器内科の先生2人に診てもらったのですが「中枢性睡眠時無呼吸症候群」なんて言葉一度も出てこなかったし、薬の副作用かもしれないなどというアドバイスも一切ありませんでした。ただ、検査し問題ないと言われ、こっちがお願いした安定剤をくれただけでした。やっぱり、お医者さんを信頼するのも大切だけど信頼しすぎて言う通りにしてるのも怖いなと思ってしまいました。

 

もちろんこの経験は現時点での患者の思い込みの感想にすぎません。もしかしたら、何か他の原因があったり、何かのきっかけでまたあの苦しい状態に戻るかわかりませんし、薬を飲まないしわ寄せが重大な事態を招くかもしれません。ただ、自分の今思っていることを覚書としてここに記しておきます。また、何か状況に変化があり次第書き綴っていこうと思っています。同じような苦しみでネット検索血眼でしている方の求めている情報の一助になれば幸いです。(追記を必ずご覧ください!

 

 

追記。

後日医師と相談したところ、たまたま薬止めたタイミングで症状が治まっただけかもしれないので勝手に薬をやめるのは非常に危険だそうです。特に高血圧や、糖尿病などの治療歴がある場合、高齢の方などは血液をサラサラにする薬をやめると特に危ないそうです。不整脈で脳梗塞になった場合は、死ぬか、寝たきりになってしまうケースが多いとのこと。自己判断はやっぱり重大なリスクを背負うことになりそうです。同じ性質の薬でも色々種類があるようなので自分としては自分に合う薬がないか医師と相談しながら模索していきたいです。

 

「令和」の由来、『梅花の宴』をジオラマで解説!

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こちらの写真は東京国際フォーラムに展示されていた「梅花の宴」のワンシーンです。今更?と思われそうですが、「令和」という年号の典拠となった『万葉集』に出てくるこの場面。一体どんな場面なのか調べてみることにしました。

 

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令和」は、「大化の改新」でおなじみ、日本初の元号「大化」(645年~)から数え248番目の元号になります。出典が明らかな10世紀以降の日本の元号はすべて漢籍(中国の書物)から引用されてきましたが、「令和」は日本古典からの初めて引用となり、そのことでも話題となりました。

 

 そしてこちらが「令和」の典拠となった『万葉集』の一文の書き下し文の展示パネルです。

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『万葉集』は奈良時代末期に成立したとみられる日本に現存する最古の和歌集です。全20巻で4500首以上の和歌が収められており、大伴家持(おおとものやかもち)が何らかの形で編纂にかかわったとされています。天皇から農民まで様々な身分の人々の歌や、2100首以上の作者不明の歌が収められています。

上のパネルは『万葉集』巻五『梅花の歌三十二首併(あわ)せて序(じょ)』の書き下し文です。この文章は、後に続く32首の歌がどういった場面で歌われたのかを説明する序文になります。上のパネルを下に文字おこし(?)しました。赤文字の「」と「」が年号に使われた箇所です。

 

天平二年正月十三日に、帥(そち)の老(おきな)の宅(いえ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春の月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く和(やわら)、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す。加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧(きり)結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まど)ふ。庭には新蝶(しんちょう)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きぬがさ)とし、地を座(しきい)とし、膝を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす言を一室の裏に忘れ衿(えり)を煙霞(えんか)の外に開く淡然自(みずから)ら放(ひさしきまま)にし快然と自(みずか)ら足る。若(も)し翰苑(かんえん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述べむ。詩に落梅の篇を紀す。古と今とそれ何そ異ならむ。宜しくの梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし

 

 

下の現代語訳の展示パネルを参考に単語を調べてみました。

 

◎単語

天平(てんぴょう)・・・西暦729~749年。聖武天皇の時代。

帥(そち)・・・大宰府の長官。ここでは歌会のホストでもある大伴旅人(おおとものたびと)を指します。

月(れいげつ)・・・なにをするにも良い月。めでたい月。

気淑く(きよく)・・・空気がよい。きよらか。

・風ぎ(かぜやわらぎ)・・・風が穏やかになる。柔らかくなる。

鏡前の粉(こ)を披(ひら)き・・・鏡の前の白粉(おしろい)のように白く咲き。

珮後(はいご)の香を薫(かおら)す・・・は諸説ありますが明治大学・加藤徹教授によると玉珮(ぎょくはい)のことらしいです。ちょっとわかりずらいですが、下の写真の帯の左右に垂れているのが玉珮で、歩くとシャラシャラと音が鳴ります。高貴な人がつける装身具であったため玉珮をつけた人が通った音のには、装束に染み付いたお香のりがただよったのでしょう。それが珮後(はいご)の香ではないでしょうか。

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・曙(あけぼの)・・・夜が明ける朝方。

羅(うすもの)・・・目の粗い絹織物の一種。薄絹。

・蓋(きぬがさ)・・・絹を張った柄の長い傘。貴人が外出の際、後ろからさしかけるのに使った。

岫(くき)・・・山のくぼ地。

新蝶舞い・・・春になって蝶が舞い始める様子。

故雁(こがん)・・・去年渡ってきた雁。雁は冬に日本にやってきて年を越し、春に北に帰っていく渡り鳥(冬鳥)。

座(しきい)・・・しきもの。座敷。

(さかづき)を飛ばす・・・酒を酌み交わす。

言(こと)を一室の裏に忘れ・・・部屋の隅に言葉を置き忘れてしまったかのように、何も話さずくつろいでいる様子。

衿(えり)を煙霞(えんか)の外に開く・・・煙霞は自然の風景。心を外に開放している様子。

淡然(たんぜん)・・・あっさりしているさま。または、静かなさま。

自ら放(ひさしきまま)にし・・・自らの心のままに振舞う。

快然(かいぜん)・・・気分がよいさま。楽しい気持ちのさま。

翰苑(かんえん)・・・文章。手紙。

・詩に落梅の篇を紀(しる)す・・・下の現代語訳パネルでは「中国にも多くの落梅の歌がある」と訳しています。その後に「昔と今となんの違いがあろうか」と続くので、「詩」とは歌や文章のお手本にした古い文学作品のようです。当時、和歌は白居易などの中国の漢詩の影響を受けていたと言われるので「詩」とはお手本にしていた中国の古い詩のことを指しているようです。

・園・・・庭。

賦(ふ)して・・・お題をもらって詩歌を作って。

聊(いささ)かに・・・少し。ほんのちょっと。

短詠を成すべし・・・歌をつくってみよう。

 

こちらが現代語訳の展示パネルです。

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「珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」など、ちょっと直したい部分もあったので自分なりに現代語訳してみます!素人の訳なんか読めるかよという方は上のパネルを熟読してください(笑)。上のパネルがようわからんという方は是非ご覧ください。

 

〈現代語訳〉

(結構意訳ですが、なるべく違和感がなく全体がつかめるよう心掛けました。)

 

 天平2年正月13日、太宰府(だざいふ)長官の大伴旅人(おおとものたびと)の屋敷に集まり、宴会を開いた。初春の過ごしやすく何をするにも良い月で、空気は澄み、柔らかい風が吹いている。梅は鏡の前の白粉(おしろい)入れを開いたかのように白く咲き、蘭は高貴な方が通った後のような気品のある香りを漂わせている。それだけではない。朝方の山の嶺(みね)には雲が流れ、松にかかる薄絹のような雲は、まるで高貴な方が使う絹の傘のように見える。夕べの山のくぼ地には霧(きり)が生じ、その中を薄絹で閉じ込められたかのように鳥がさまよい、飛びかっている。庭には蝶が舞い、空には年を越した雁が北に帰ろうと飛んでいる。その中で、私たちは空を絹の傘にし大地を敷物にして、膝をつきあわせ酒を酌み交わしている。皆、言葉を部屋の片隅に置き忘れてきたかのように何も語らず、自然の中に心を漂わせくつろいでいる。気兼ねなく奔放に過ごし、心は気持ちよく満ち足りている。これを歌にしなければ、どのような時に心を歌うことができようか。古くは中国にも多くの落梅の歌がある。昔の人達と私達にどんな心の違いがあるというのか。よし、庭の梅をお題にちょっと歌でも作ってみようじゃないか!

 

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と、ここから32首の歌が並ぶのです。

 

「令和」って最初は字面だけ見ると「命令に従い強調して行動する」みたいなイメージでしたが、こうやって見てみると「令和の年」とは何をするにもちょうどいい、めでたく、そして穏やかな年というのが正しいイメージだということがわかります。なかなか雅な元号ではないですか!

 

ここから32首紹介したかったのですが、わたくしの電池切れ・・・。

次回はその歌を紹介します。たぶん・・・。

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

あの時、天皇・皇后は何を着ていたのか。即位礼正殿の儀、装束レプリカ展示② 

前回の①の記事のリンク→こちら

 

前回の続きです。

いよいよ今回は明治以降、日本風に改められ、令和の儀式でも使われた装束の解説です。

 

 

 

天皇の装束

 

こちらは東京国立博物館に展示されていた天皇の儀式当日の写真です。(ブログ掲載可能か確認済)

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こちらはその衣装レプリカです。

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平安時代以降の偉い人の正装を束帯(そくたい)と言いますが、これは 黄櫨染(こうろぜん)の御袍(ごほう)と呼ばれる束帯です。黄櫨染とは濃い黄褐色(おうかっしょく)の色彩で、夏の土用に真南にのぼる太陽の燃え盛る色とされ、古代中国の五行思想の中軸をなす色彩と言われています。御袍は上の写真のような形の平安時代以降の装束を言います。

 

 

後ろからの写真と下に続く白い生地の柄のアップです。こちらは色違いですが高御座(たかみくら)の帳(とばり)の柄とほぼ一緒。よく使われる柄なのでしょうか?

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こちらが高御座の帳(カーテンみたいなやつ)。

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こちらは靴。この柄は高御座の椅子にも使われていました。2枚目の写真は本物の高御座の椅子。四つの菱形が集まった菱紋(ひしもん)は昔から天皇家が好んで使った紋なんだそうです。

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こちらは石帯(せきたい)と呼ばれるベルトのようなもの。アーチになっている部分の外へ向かう反発力で、石帯にかぶさる様に見えている台形の部分が崩れにくくなるそうです。石帯の後ろ部分は皮ですが、前半分は紐になっています。

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桐紋(きりもん)竹、鳳凰(ほうおう)、下には麒麟(きりん)が描かれています。桐紋は平安時代から天皇家の装束で使われてきた模様です。f:id:kenkobit:20200126202910j:plain

 

これが桐紋。上の写真の模様の中に組み込まれているのがわかります。

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Wikipediaより転載。

五三の桐  by Hakko-daiodo

 

下の写真が桐の枝先です。古代中国ではアオギリに鳳凰が棲むといういわれがあり、正確にはアオギリは写真の桐とは違うようですが、桐紋もそのいわれに倣ってデザインされたそうです。桐紋は室町時代には小判などの貨幣に刻印されており、それ以降の政権でも用いられることがありました。現在では日本国政府の紋章であり、ツイッターの首相官邸のアカウントのアイコンなどにもこの紋章が使われています。

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Wikipediaより転載

花と葉をつけた桐の枝先 by KENPEI

 

鳳凰と麒麟は高御座の下の台座にも描かれていました。こちらは高御座の鳳凰と麒麟。ずいぶんかわいくなってますが、先ほどの模様の中に描かれているので確認してみてください。

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 皇后の装束

 

皇后さまの儀式当日の衣装の写真パネルです。(ブログ掲載可能か確認済)

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この装束は十二単(じゅうにひとえ)です。

白小袖(しろこそで)長袴(ながはかま)をつけ、その上に単(ひとえ)五衣(いつつぎぬ)打衣(うちぎぬ)表着(うわぎ)を重ね、唐衣(からぎぬ)裳(も)をつける平安時代に近い形式です。

 

一番上に来ている白地に黄緑の刺繍の入った衣が唐衣。後ろに長く引きづっている白い衣が。下に履いている赤い袴が長袴です。

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下の写真で見ると分かりやすいですが、白小袖は一番肌に近い白い衣。はその上に見える濃い赤の衣。五衣は薄いピンクから赤にグラデーションしている五枚の衣。打衣はカラーアクセント役に使われている濃い紫の衣。表着は白地に紫の刺繍の入った一番目立つ衣です。

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刺繍が美しい。

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こちらは沓。見えずらいですが内側もただの白地ではなく模様がついています。長袴で隠れて見えないですけど靴はいてたんですね。

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皇后の髪型は江戸時代後期以来の形式であるおすべらかしです写真は上から平額(ひらびたい)、櫛(くし)、釵子(さいし)です。これで頭の前面の飾りを作っています。一番下は絵元結(えもとゆい)です。

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櫛には縁に張り付くようなデザインの菊紋が描かれていました。

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先ほどの写真の一番下に写っていたこの豪華な色彩の小さな棒のように見えるものは、絵元結という髪に結んで使うものです。おすべらかしの後ろは長くて細いポニーテールみたいになっているのですが、そのポニーテールの根本あたりに結んで飾ります。鳥の子紙(とりのこがみ)というなめらかで艶のある和紙の一種を巻いて棒状にし、絵を描いたものです。松・竹・鶴・亀を描いたりするものらしいので写真は松の絵だと思われます。

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即位礼正殿の儀で皇后が手に持っているものが気になっていたんですが、どうやら調べてみると扇のようです。檜扇(ひおうぎ)という宮中で用いられた檜でできた木製の扇で、松と梅の絹糸を使った造化で飾られ、6色の絹房という紐で閉じられています。絹房は開いたときは扇の両サイドに美しく垂れ下がります。長方形の朱色の物は帖紙(たとうがみ)といい、懐紙(かいし)を入れておき、歌を詠むときにメモ帳として使ったり、ハンカチ、鼻紙代わりに使ったようです。

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以上、即位礼正殿の儀の装束レプリカ展示の報告でした。十二単は簡単な説明のパネルはあったんですが、小物や衣を調べたりするのが結構大変で着ることなんてないのに少し詳しくなってしまいました・・・。こういった伝統的な衣装について調べることなんて日常生活ではなかなかないのでとてもいい機会になりました!また面白い展示会あったら探していってみたいです!

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

あの時、天皇・皇后は何を着ていたのか。即位礼正殿の儀、装束レプリカ展示① 

有楽町の東京国際フォーラムでの「装束展示」に、即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)のジオラマや装束レプリカなどが展示されていました。なかなか見れないものなので写真を撮ってきました。よかったらご覧ください!

(写真が多くて重くなるので次回と2回に分けてアップします。)

 

まずはこちら。本物の高御座(たかみくら)御帳台(みちょうだい)です。東京国立博物館で展示されていた時の写真です。高純度の金箔と国産漆で豪華に飾られています。高御座の詳細は過去記事があるのでこちらのリンクをご覧ください。

高御座(たかみくら)

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御帳台(みちょうだい)

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こちらも同じく東京国立博物館に展示されていた貴重な資料です。

明治維新の後、天皇の即位などを規定する登極令(とうきょくれい)が制定されましたが、その登極令の条文に則った儀式の情景を描いたものが下の絵です。大正4年に描かれた「御即位大嘗祭絵巻(ごそくいだいじょうさいえまき)」です。

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平成と令和は東京の皇居で行われ即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)ですが、かつては京都の御所・紫宸殿(ししんでん)で行われていました。下の絵は江戸時代に描かれた紫宸殿に設営された高御座です。皇后の御帳台が造られたのは大正天皇の即位の時からなのでこの絵には高御座しかありません。(18世紀 『御即位図(ごそくいず)』)

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そしてところ変わって、こちらが東京国際フォーラムのジオラマ展示です。江戸時代前期の即位式を再現しています。

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見ずらいですが後ろに7本旗が立っているのがわかるでしょうか。上の写真の江戸時代に描かれた『御即位図』の中にも同じものが描かれています。本来は天皇の前の庭に建てられるものですが、ジオラマは見やすいよう後ろに設置されていたようです。

下の写真の赤丸部分です。

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真ん中にはあるのは 銅烏幢(どううとう)で、幢(とう)とは旗のことです。上に黄金の三つ足のカラスがついて、下は瓔珞ようらく/偉い人の装身具)で飾られています。

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三つ足の烏というと「古事記」「日本書紀」出てくる八咫烏(やたがらす)が連想されますが、太古の昔から中国には太陽に棲む「三足烏(さんそくう)」という伝説の烏がいるようで、もろもろ考えると、どうやらそちらがモチーフになっているようです。説明書きも「三つ足の烏」という表現で、八咫烏の文字はありませんでした。

 

次は銅烏幢(どううとう)の両脇にある日像の幢(にっしょうのとう)月像の幢(げっしょうのとう)です。

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日像の幢には太陽に棲む三足烏(さんそくう)と思われる三つ足の烏が描かれ月像の幢には蛙と兎と月桂樹が描かれています。中国には月に蛙(正確にはひきがえる)と兎が棲んでいるという伝承があるので、ここからも大陸の影響を受けていることがわかります。


さらにその外側には四神の旗が並びます。四神とは中国の神話に出てくる四つの方角をつかさどる霊獣で、いわゆる朱雀(すざく)・青龍(せいりゅう)・玄武(げんぶ)・白虎(びゃっこ)の旗です。

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そして、こちらが天皇の装束のレプリカです。

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ジオラマの中の天皇が着ています。これは「袞冕(こんべん)十二章」と呼ばれる装束です。

 

あれっと思われた方もいると思います。今回、令和の即位礼正殿の儀で使われた装束と違いますよね。実はこの「袞冕(こんべん)十二章」は平安時代から江戸時代まで使われた天皇の礼服ですが、大陸から輸入された服制のため時代の要請もあり明治天皇即位以降は日本風に改められています。



「袞冕(こんべん)十二章」袞(こん)袞衣(こんえ)からきています。袞(こん)とは首を傾げた龍のことで、その袞龍(こんりゅう)が衣の袖に縫い付けてあることから袞衣(こんえ)と呼ばれました。

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「袞冕(こんべん)十二章」冕(べん)冕冠(べんかん)に由来します。冕冠は板に玉すだれ状の飾りがついた冠です。この冠は奈良時代から使われており、正倉院には聖武天皇の着用した冕冠の部品が遺っているそうです。見たい!

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「袞冕(こんべん)十二章」十二章衣に刺繍された12種類のシンボルです。これらは『唐書』に書かれた聖王の象徴だそうです。下のパネルで12章が示されていました。

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実際のレプリカの刺繍。なんかかわいい。

北斗七星・龍。しっかり撮れなかったんですが両肩には日像・月像の幢と同じデザインの太陽と月が縫い付けてあります。

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雉と火。

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虎と猿。

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斧とふつ(己字を背反したもの)。

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こうして衣装や、祭具をみてみると、私は天皇制を日本神話を起源とした日本独自のものだと思っていたのですが、大陸文化の影響から生まれ独自の発展を遂げてきたものだということがわかりました。

 

ちなみに天皇という言葉も道教の考えに基づいた宇宙の中心である北極星を神格化した称号だとも言われています。天皇の称号が使われたのは天武天皇のころからと言われているので、その頃から皇族の祭祀に中国風のものが融合していったのではないでしょうか。その辺は今後の勉強の課題になりそうです。

今回のジオラマ展示で思いもよらず大陸文化の影響を知ることができ面白かったです。次回は明治以降、日本風に改められ、令和の即位礼正殿の儀でも使われた天皇・皇后の装束のレプリカをご紹介します!

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 続きはこちら→装束展示②

 

相撲の起源は殺し合い!?

先日、東京国際フォーラムの「装束展示」のコーナーを見に行きました。色々なブースに分かれてジオラマが展示されており、その一つに「古代の相撲」が紹介されていました。そちらをまとめつつ自分でも調べてみましたのでご覧ください!

 

展示されていたジオラマはこちら。

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こちらが「相撲節会(すまいのせちえ)」のワンシーンです。

 

 

 

 

相撲節会(すまいのせちえ)とは?

734年聖武天皇天覧相撲(天皇の前で行われる相撲)を宮中で行い、それをきっかけに「相撲節会」という行事として宮中相撲が恒例化していったそうです。一時途絶えましたが、再開し高倉天皇1174年まで続くこととなりました。

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江戸時代に描かれた「相撲節会図(すまいのせちえず)」のパネルも展示されていました。ジオラマはこちらの資料などを参考に作られたようです。

 

玉座に座る天皇の前で相撲を取っているのがわかります。

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相撲節会図によると上の写真右上に座っている人たちは大臣や大納言などの殿上人(てんじょうびと)のようです。

 

この人たちです。

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観戦も偉いのでがっつきません。背を向けてます。BGMぐらいに思っているのかな?

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相撲節会は最初はその年の豊凶を占う神事だったり、宮中行事の余興だったようですが、徐々に武力訓練の一面が強くなっていきます。宮中の警備や要人警護の人達が参加し、全国からも相撲取りが推挙され集められました。

 

20組40名が左右に分かれて相撲を取りました。(時代によって違うようです。)

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畳んだ着物も再現されています。

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髪飾りがかわいい。

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ご覧の通り行事はおらず、進行係にあたる「立合(たちあわせ)」が左右から2名ずつでて付き添っただけでした。判定がつかない時は公卿たちで協議が行われ、最終的には天皇が決めたと言われています。

 

立ち合いは立った状態で、両者で息を合わせて始めたそうです。

 

勝負がつくと勝った方から舞人(まいびと)がでて、弓を用いた立合舞(たちあいのまい)が披露されました。

 

こちらは雅楽師達

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こちらが舞人

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 上の写真の舞人の衣装は実物大のものが展示されていました。

 

勝った時の舞には定番の舞があるようで、天皇から見て左手が勝った場合は「蘭陵王(らんりょうおう)」の舞が披露されました。これがその実物大の衣装です。

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この舞は中国の北斉(ほくせい/549~577)で、蘭陵(らんりょう)の王があまりにもイケメン過ぎて、戦場の兵士たちの士気が上がらなかったため、恐ろしい仮面をつけて戦ったところ大勝利し、そのことに喜んだ部下たちに作られたと伝えらえています。

 

天皇から見て右側が勝った場合は「納蘇利(なそり)」が披露されました。

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「納蘇利」は朝鮮半島から伝わった舞です。「蘭陵王」と対の舞となっており、雌雄の龍が遊び、天に上っていく姿を表しているそうです。

 

この2つの舞は相撲だけでなく、騎射(うまゆみ)など左右に分かれて競う競技で勝った時に演奏される勝負曲として使われたそうです。

 

 

宮中相撲の最古の記録

宮中で行われた相撲の最古の記録は「日本書紀」に記述されている、垂仁天皇7年(推定・紀元前23年)7月、野見宿禰(のみのすくね)当麻蹴速(たいまのけはや)が垂仁天皇の前で行った御前試合です。

 

こちらはその話を題材にした安本亀八(やすもとかめはち)作の『相撲生人形(すもういきにんぎょう)』の巨大パネルの展示です。

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野見宿禰が当麻蹴速を投げ飛ばそうとしています。鬼気迫る二人の顔や、強靭な筋肉はとてもリアルで、その場に居合わせてしまったような気持にさせます。

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『日本書紀』によると当麻蹴速(たいまのけはや)は強靭な肉体を持っていたため、「どこを探しても自分ほどの力を持つ人間がいない。何とかして強い人間と出会って、生死をかけた試合をしてみたい。」と周りに漏らしていました。それが垂仁(すいにん)天皇の耳に入り、だれかこれに勝てるものはいないのかと家臣に尋ねたところ「出雲に野見宿禰(のみのすくね)というすごい男がいます。」といったので野見宿禰を呼んで天皇の前で試合をさせました。二人はまず立ったまま蹴り合いをはじめ、野見宿禰は当麻蹴速のあばらを踏み砕きました。そして、彼の腰を踏み砕いて殺しました。   (参考:日本書紀上  宇治谷孟)

 

???これが相撲なのか・・・・

 

どうやら昔の相撲は文字通り「生死をかけた」素手の総合格闘技といったところだったようです。

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Wikipediaより転載

当麻蹴速と角力を取る野見宿禰 (月岡芳年『芳年武者无類』より)

 

この後、野見宿禰は褒美として当麻蹴速の土地を譲りうけ、そのまま天皇に仕えるのですが、この人にはもう一つエピソードがあります。

 

垂仁天皇の頃、高貴な人が亡くなり埋葬する際に、その人に仕えていた者たちも一緒に生き埋めにする習慣がありました。それを目の当たりにした垂仁天皇は心を痛め、野見宿禰に何とかならないかと相談したところ、野見宿禰は地元の出雲から人を呼び、土から人や馬を作らせそれを埋葬することを提案しました。垂仁天皇は「そういうこと!」と非常に喜んで土師(はじ)の姓を与えたと伝えられています。

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この土師氏(はじし)とは後の古墳時代に活躍する古墳づくりのプロ集団です。あくまで「日本書紀」によるとですが、野見宿禰が埴輪を発明し、後の古墳づくりのプロ集団・土師氏の祖になったということになります。力も強く、頭も切れるスーパーマンだったんですね。

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話しがそれてしまいましたが、以上が古代の相撲に関してわかったことでした。相撲の起源とまではいかないかもしれませんが、古代の相撲の形はわかってきたのではないでしょうか。そしてこうした相撲が、各地の神社における「神事相撲」、武士の鍛錬としての「武家相撲」、さらに今日まで続く民間の「勧進相撲(かんじんずもう)」と引き継がれていき、今日の大相撲の源流となっていったのです。

 

こうした相撲の歴史を知ると、テレビで目にする大相撲の見え方も変わってきますし、何より一度両国国技館で生の相撲を見てみたいと思いました。

 

長くなりました最後までご覧いただきありがとうございました!

過去最高にテンションが上がった日本3大弁財天・江島神社(えのしまじんじゃ)の歩き方② (神奈川県藤沢市)

前回のリンクはこちら→江島神社①

 

 

書ききれなかった前回の続きです。

 

 

 

 

鎌倉時代の弁財天像が見れる

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こちらは奉安殿八臂弁財天像(はっぴべんざいてん/国指定重要文化財)や妙音弁財天像(みょうおんべんざいてん)を見ることができます。(大人200円小人100円)

八臂(はっぴ)とは八本の腕の数を表しています。

写真のような小さなお堂に数点の宝物が置かれています。それほど興味のない方はこれだけ?って思うかもしれません・・・。個人的には八臂弁財天を拝みたかったので大満足です。

 

実物は撮影禁止でしたので看板の写真です。

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源頼朝は鎌倉幕府を開く折り、東北に強大な勢力を持っていた藤原秀衡(ふじわらひでひら)を倒すため、江島神社で戦勝祈願をしました。八臂弁財天その際、真言宗の僧・文覚上人(もんがくしょうにん)に命じて造らせたもので、二十一日間祈願させたと「吾妻鏡(あずまかがみ)」に記されています。江戸時代には勝運守護の神様として武家から庶民まで広く信仰を集めていたようです。

 

妙音弁財天鎌倉時代中期以降の傑作とされている全裸の弁財天像です。音楽芸能の上達を願う多くの人達からの信仰を集めています。写真は白とびしてますが結構艶めかしい造形です。

 

 

 

神紋は龍の鱗

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江島神社の社紋は「向い波の中の三つの鱗(うろこ)」です。北条家の家紋「三つ鱗」の伝説にちなみ考案されたもので、「三つ鱗」とは真ん中にある三角形の模様のことです。それに江の島に打ち付ける波のデザインを加えたのだと思います。

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『太平記』によると「三つ鱗」の伝説とは、1190年に鎌倉幕府を司った北条時政(ときまさ)が、子孫繁栄を願い岩屋にこもり祈願すると、満願の夜に弁財天が現れ時政の願いを叶えることを約束します。弁財天は大蛇となり海に消え、あとには三枚の鱗が残され、時政はこれを家紋にしたと伝えられているそうです。(参考:江島神社ホームページ)

 

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階段の手すりにも「三つ鱗」。

 

 

 

銭洗いの沼

ここの銭洗いはひと癖ありまして、あえて「沼」と表現させていただきました。それがこちら。

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白い像は弁財天と共に降りて来た白龍で、銭洗白龍王と呼ばれています。この像は以前は岩屋洞窟に祀られていたそうなのですが、近年こちらに移されてきたそうです。ところで普通の銭洗いと何か違うのをお気づきでしょうか。

 

こちらをご覧ください。

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賽銭箱のこの距離感。こういうの得意な人はいいですが、わたくしのような不器用な人間はいくら使うことになるのだろう。

 

下には敗れ去った戦士たちが。

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10円が5,6枚あったので挑戦。やった!と思ったら案の定、こんなことに。

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50円も2枚使ってダメ。でも、ここで帰ったらすごく縁起が悪いような気がしてやめられない。まさに沼。こんなところでこんな気持ちになろうとは思ってもいませんでした。後は100円玉と500円玉しかないといったところで集中力が増したのか何とか100円玉の一枚目で賽銭箱に入れることができました。

 

そしてしっかり銭洗い。欲や穢れを落として福を招きます。

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毎回欲が増していると思うのは気のせいでしょうか・・・。銭を洗うのも大事ですが、心がけも大切です。

 

 

 江の島のグルメ

 江の島と言えば生シラス丼。ですが、1月から3月までは禁漁期らしく釜揚げシラス丼しかありませんでした。釜揚げシラスじゃちょっと食べた気がしないなあと、何を食べようかさまよいます。どうやら、奥に行けば行くほど見晴らしの良い飲食店が並んでいたので、最初の参道の方でお店に入ってしまうより一回りした方がいいかもしれません。

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 よさげなレストランがあったので入りました。窓からの見晴らし。最高すぎました。

 

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神奈川のブランド牛・相州牛のビーフシチューをいただきました。(魚食えよとか言わないでください・・・。)

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ライスつけて2000円ちょっとしたような気がします。贅沢ですが、観光地ですし見晴らしのいい場所代も考えたら大満足です!(気分がそうさせたのかめちゃめちゃ美味しかったです。)

 

 

360度絶景撮影スポット

至るところに絶景スポットがあり、カメラのシャッターが止まりません。

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江島神社のお守り

こちらにも収集しているメタルカードのお守りがありました。勝運守りです。八臂弁財天のデザインもたまらないです。

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 今までのコレクションに興味のある方はカテゴリーのメタルカードお守りからご覧ください。

 

 

アクセス

最寄り駅は江ノ島電鉄「江ノ島駅」か、小田急江ノ島線の「片瀬江の島駅」どちらも歩いて20分くらいです。一応「湘南江の島駅」の前からバスは出ていますが景色がいいので歩いてもいいかもしれません。当然私はバスを使いました・・・。

 

 鎌倉駅から江ノ電に乗ったのですが、景色を見ているだけでウキウキしてしまいました。

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以上、江島神社レポートでした。終始「最高だな」と漏らしながら歩いていたら、不整脈で体調悪かったのですが、それ以来大分調子がよくなってしまいました。もしかして、即効でご利益があったのではないと嬉しくなってしまいました。今や弁財天贔屓です。皆さんもぜひ行ってみてください。おすすめです。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。