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「令和」の由来、『梅花の宴』をジオラマで解説!

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こちらの写真は東京国際フォーラムに展示されていた「梅花の宴」のワンシーンです。今更?と思われそうですが、「令和」という年号の典拠となった『万葉集』に出てくるこの場面。一体どんな場面なのか調べてみることにしました。

 

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令和」は、「大化の改新」でおなじみ、日本初の元号「大化」(645年~)から数え248番目の元号になります。出典が明らかな10世紀以降の日本の元号はすべて漢籍(中国の書物)から引用されてきましたが、「令和」は日本古典からの初めて引用となり、そのことでも話題となりました。

 

 そしてこちらが「令和」の典拠となった『万葉集』の一文の書き下し文の展示パネルです。

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『万葉集』は奈良時代末期に成立したとみられる日本に現存する最古の和歌集です。全20巻で4500首以上の和歌が収められており、大伴家持(おおとものやかもち)が何らかの形で編纂にかかわったとされています。天皇から農民まで様々な身分の人々の歌や、2100首以上の作者不明の歌が収められています。

上のパネルは『万葉集』巻五『梅花の歌三十二首併(あわ)せて序(じょ)』の書き下し文です。この文章は、後に続く32首の歌がどういった場面で歌われたのかを説明する序文になります。上のパネルを下に文字おこし(?)しました。赤文字の「」と「」が年号に使われた箇所です。

 

天平二年正月十三日に、帥(そち)の老(おきな)の宅(いえ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春の月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く和(やわら)、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫(かおら)す。加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺(みね)に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧(きり)結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まど)ふ。庭には新蝶(しんちょう)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きぬがさ)とし、地を座(しきい)とし、膝を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばす言を一室の裏に忘れ衿(えり)を煙霞(えんか)の外に開く淡然自(みずから)ら放(ひさしきまま)にし快然と自(みずか)ら足る。若(も)し翰苑(かんえん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述べむ。詩に落梅の篇を紀す。古と今とそれ何そ異ならむ。宜しくの梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし

 

 

下の現代語訳の展示パネルを参考に単語を調べてみました。

 

◎単語

天平(てんぴょう)・・・西暦729~749年。聖武天皇の時代。

帥(そち)・・・大宰府の長官。ここでは歌会のホストでもある大伴旅人(おおとものたびと)を指します。

月(れいげつ)・・・なにをするにも良い月。めでたい月。

気淑く(きよく)・・・空気がよい。きよらか。

・風ぎ(かぜやわらぎ)・・・風が穏やかになる。柔らかくなる。

鏡前の粉(こ)を披(ひら)き・・・鏡の前の白粉(おしろい)のように白く咲き。

珮後(はいご)の香を薫(かおら)す・・・は諸説ありますが明治大学・加藤徹教授によると玉珮(ぎょくはい)のことらしいです。ちょっとわかりずらいですが、下の写真の帯の左右に垂れているのが玉珮で、歩くとシャラシャラと音が鳴ります。高貴な人がつける装身具であったため玉珮をつけた人が通った音のには、装束に染み付いたお香のりがただよったのでしょう。それが珮後(はいご)の香ではないでしょうか。

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・曙(あけぼの)・・・夜が明ける朝方。

羅(うすもの)・・・目の粗い絹織物の一種。薄絹。

・蓋(きぬがさ)・・・絹を張った柄の長い傘。貴人が外出の際、後ろからさしかけるのに使った。

岫(くき)・・・山のくぼ地。

新蝶舞い・・・春になって蝶が舞い始める様子。

故雁(こがん)・・・去年渡ってきた雁。雁は冬に日本にやってきて年を越し、春に北に帰っていく渡り鳥(冬鳥)。

座(しきい)・・・しきもの。座敷。

(さかづき)を飛ばす・・・酒を酌み交わす。

言(こと)を一室の裏に忘れ・・・部屋の隅に言葉を置き忘れてしまったかのように、何も話さずくつろいでいる様子。

衿(えり)を煙霞(えんか)の外に開く・・・煙霞は自然の風景。心を外に開放している様子。

淡然(たんぜん)・・・あっさりしているさま。または、静かなさま。

自ら放(ひさしきまま)にし・・・自らの心のままに振舞う。

快然(かいぜん)・・・気分がよいさま。楽しい気持ちのさま。

翰苑(かんえん)・・・文章。手紙。

・詩に落梅の篇を紀(しる)す・・・下の現代語訳パネルでは「中国にも多くの落梅の歌がある」と訳しています。その後に「昔と今となんの違いがあろうか」と続くので、「詩」とは歌や文章のお手本にした古い文学作品のようです。当時、和歌は白居易などの中国の漢詩の影響を受けていたと言われるので「詩」とはお手本にしていた中国の古い詩のことを指しているようです。

・園・・・庭。

賦(ふ)して・・・お題をもらって詩歌を作って。

聊(いささ)かに・・・少し。ほんのちょっと。

短詠を成すべし・・・歌をつくってみよう。

 

こちらが現代語訳の展示パネルです。

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「珮後(はいご)の香を薫(かおら)す」など、ちょっと直したい部分もあったので自分なりに現代語訳してみます!素人の訳なんか読めるかよという方は上のパネルを熟読してください(笑)。上のパネルがようわからんという方は是非ご覧ください。

 

〈現代語訳〉

(結構意訳ですが、なるべく違和感がなく全体がつかめるよう心掛けました。)

 

 天平2年正月13日、太宰府(だざいふ)長官の大伴旅人(おおとものたびと)の屋敷に集まり、宴会を開いた。初春の過ごしやすく何をするにも良い月で、空気は澄み、柔らかい風が吹いている。梅は鏡の前の白粉(おしろい)入れを開いたかのように白く咲き、蘭は高貴な方が通った後のような気品のある香りを漂わせている。それだけではない。朝方の山の嶺(みね)には雲が流れ、松にかかる薄絹のような雲は、まるで高貴な方が使う絹の傘のように見える。夕べの山のくぼ地には霧(きり)が生じ、その中を薄絹で閉じ込められたかのように鳥がさまよい、飛びかっている。庭には蝶が舞い、空には年を越した雁が北に帰ろうと飛んでいる。その中で、私たちは空を絹の傘にし大地を敷物にして、膝をつきあわせ酒を酌み交わしている。皆、言葉を部屋の片隅に置き忘れてきたかのように何も語らず、自然の中に心を漂わせくつろいでいる。気兼ねなく奔放に過ごし、心は気持ちよく満ち足りている。これを歌にしなければ、どのような時に心を歌うことができようか。古くは中国にも多くの落梅の歌がある。昔の人達と私達にどんな心の違いがあるというのか。よし、庭の梅をお題にちょっと歌でも作ってみようじゃないか!

 

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と、ここから32首の歌が並ぶのです。

 

「令和」って最初は字面だけ見ると「命令に従い強調して行動する」みたいなイメージでしたが、こうやって見てみると「令和の年」とは何をするにもちょうどいい、めでたく、そして穏やかな年というのが正しいイメージだということがわかります。なかなか雅な元号ではないですか!

 

ここから32首紹介したかったのですが、わたくしの電池切れ・・・。

次回はその歌を紹介します。たぶん・・・。

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

あの時、天皇・皇后は何を着ていたのか。即位礼正殿の儀、装束レプリカ展示② 

前回の①の記事のリンク→こちら

 

前回の続きです。

いよいよ今回は明治以降、日本風に改められ、令和の儀式でも使われた装束の解説です。

 

 

 

天皇の装束

 

こちらは東京国立博物館に展示されていた天皇の儀式当日の写真です。(ブログ掲載可能か確認済)

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こちらはその衣装レプリカです。

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平安時代以降の偉い人の正装を束帯(そくたい)と言いますが、これは 黄櫨染(こうろぜん)の御袍(ごほう)と呼ばれる束帯です。黄櫨染とは濃い黄褐色(おうかっしょく)の色彩で、夏の土用に真南にのぼる太陽の燃え盛る色とされ、古代中国の五行思想の中軸をなす色彩と言われています。御袍は上の写真のような形の平安時代以降の装束を言います。

 

 

後ろからの写真と下に続く白い生地の柄のアップです。こちらは色違いですが高御座(たかみくら)の帳(とばり)の柄とほぼ一緒。よく使われる柄なのでしょうか?

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こちらが高御座の帳(カーテンみたいなやつ)。

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こちらは靴。この柄は高御座の椅子にも使われていました。2枚目の写真は本物の高御座の椅子。四つの菱形が集まった菱紋(ひしもん)は昔から天皇家が好んで使った紋なんだそうです。

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こちらは石帯(せきたい)と呼ばれるベルトのようなもの。アーチになっている部分の外へ向かう反発力で、石帯にかぶさる様に見えている台形の部分が崩れにくくなるそうです。石帯の後ろ部分は皮ですが、前半分は紐になっています。

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桐紋(きりもん)竹、鳳凰(ほうおう)、下には麒麟(きりん)が描かれています。桐紋は平安時代から天皇家の装束で使われてきた模様です。f:id:kenkobit:20200126202910j:plain

 

これが桐紋。上の写真の模様の中に組み込まれているのがわかります。

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Wikipediaより転載。

五三の桐  by Hakko-daiodo

 

下の写真が桐の枝先です。古代中国ではアオギリに鳳凰が棲むといういわれがあり、正確にはアオギリは写真の桐とは違うようですが、桐紋もそのいわれに倣ってデザインされたそうです。桐紋は室町時代には小判などの貨幣に刻印されており、それ以降の政権でも用いられることがありました。現在では日本国政府の紋章であり、ツイッターの首相官邸のアカウントのアイコンなどにもこの紋章が使われています。

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Wikipediaより転載

花と葉をつけた桐の枝先 by KENPEI

 

鳳凰と麒麟は高御座の下の台座にも描かれていました。こちらは高御座の鳳凰と麒麟。ずいぶんかわいくなってますが、先ほどの模様の中に描かれているので確認してみてください。

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 皇后の装束

 

皇后さまの儀式当日の衣装の写真パネルです。(ブログ掲載可能か確認済)

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この装束は十二単(じゅうにひとえ)です。

白小袖(しろこそで)長袴(ながはかま)をつけ、その上に単(ひとえ)五衣(いつつぎぬ)打衣(うちぎぬ)表着(うわぎ)を重ね、唐衣(からぎぬ)裳(も)をつける平安時代に近い形式です。

 

一番上に来ている白地に黄緑の刺繍の入った衣が唐衣。後ろに長く引きづっている白い衣が。下に履いている赤い袴が長袴です。

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下の写真で見ると分かりやすいですが、白小袖は一番肌に近い白い衣。はその上に見える濃い赤の衣。五衣は薄いピンクから赤にグラデーションしている五枚の衣。打衣はカラーアクセント役に使われている濃い紫の衣。表着は白地に紫の刺繍の入った一番目立つ衣です。

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刺繍が美しい。

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こちらは沓。見えずらいですが内側もただの白地ではなく模様がついています。長袴で隠れて見えないですけど靴はいてたんですね。

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皇后の髪型は江戸時代後期以来の形式であるおすべらかしです写真は上から平額(ひらびたい)、櫛(くし)、釵子(さいし)です。これで頭の前面の飾りを作っています。一番下は絵元結(えもとゆい)です。

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櫛には縁に張り付くようなデザインの菊紋が描かれていました。

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先ほどの写真の一番下に写っていたこの豪華な色彩の小さな棒のように見えるものは、絵元結という髪に結んで使うものです。おすべらかしの後ろは長くて細いポニーテールみたいになっているのですが、そのポニーテールの根本あたりに結んで飾ります。鳥の子紙(とりのこがみ)というなめらかで艶のある和紙の一種を巻いて棒状にし、絵を描いたものです。松・竹・鶴・亀を描いたりするものらしいので写真は松の絵だと思われます。

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即位礼正殿の儀で皇后が手に持っているものが気になっていたんですが、どうやら調べてみると扇のようです。檜扇(ひおうぎ)という宮中で用いられた檜でできた木製の扇で、松と梅の絹糸を使った造化で飾られ、6色の絹房という紐で閉じられています。絹房は開いたときは扇の両サイドに美しく垂れ下がります。長方形の朱色の物は帖紙(たとうがみ)といい、懐紙(かいし)を入れておき、歌を詠むときにメモ帳として使ったり、ハンカチ、鼻紙代わりに使ったようです。

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以上、即位礼正殿の儀の装束レプリカ展示の報告でした。十二単は簡単な説明のパネルはあったんですが、小物や衣を調べたりするのが結構大変で着ることなんてないのに少し詳しくなってしまいました・・・。こういった伝統的な衣装について調べることなんて日常生活ではなかなかないのでとてもいい機会になりました!また面白い展示会あったら探していってみたいです!

 

最後までご覧いただきありがとうございました!

あの時、天皇・皇后は何を着ていたのか。即位礼正殿の儀、装束レプリカ展示① 

有楽町の東京国際フォーラムでの「装束展示」に、即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)のジオラマや装束レプリカなどが展示されていました。なかなか見れないものなので写真を撮ってきました。よかったらご覧ください!

(写真が多くて重くなるので次回と2回に分けてアップします。)

 

まずはこちら。本物の高御座(たかみくら)御帳台(みちょうだい)です。東京国立博物館で展示されていた時の写真です。高純度の金箔と国産漆で豪華に飾られています。高御座の詳細は過去記事があるのでこちらのリンクをご覧ください。

高御座(たかみくら)

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御帳台(みちょうだい)

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こちらも同じく東京国立博物館に展示されていた貴重な資料です。

明治維新の後、天皇の即位などを規定する登極令(とうきょくれい)が制定されましたが、その登極令の条文に則った儀式の情景を描いたものが下の絵です。大正4年に描かれた「御即位大嘗祭絵巻(ごそくいだいじょうさいえまき)」です。

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平成と令和は東京の皇居で行われ即位礼正殿の儀(そくいれいせいでんのぎ)ですが、かつては京都の御所・紫宸殿(ししんでん)で行われていました。下の絵は江戸時代に描かれた紫宸殿に設営された高御座です。皇后の御帳台が造られたのは大正天皇の即位の時からなのでこの絵には高御座しかありません。(18世紀 『御即位図(ごそくいず)』)

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そしてところ変わって、こちらが東京国際フォーラムのジオラマ展示です。江戸時代前期の即位式を再現しています。

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見ずらいですが後ろに7本旗が立っているのがわかるでしょうか。上の写真の江戸時代に描かれた『御即位図』の中にも同じものが描かれています。本来は天皇の前の庭に建てられるものですが、ジオラマは見やすいよう後ろに設置されていたようです。

下の写真の赤丸部分です。

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真ん中にはあるのは 銅烏幢(どううとう)で、幢(とう)とは旗のことです。上に黄金の三つ足のカラスがついて、下は瓔珞ようらく/偉い人の装身具)で飾られています。

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三つ足の烏というと「古事記」「日本書紀」出てくる八咫烏(やたがらす)が連想されますが、太古の昔から中国には太陽に棲む「三足烏(さんそくう)」という伝説の烏がいるようで、もろもろ考えると、どうやらそちらがモチーフになっているようです。説明書きも「三つ足の烏」という表現で、八咫烏の文字はありませんでした。

 

次は銅烏幢(どううとう)の両脇にある日像の幢(にっしょうのとう)月像の幢(げっしょうのとう)です。

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日像の幢には太陽に棲む三足烏(さんそくう)と思われる三つ足の烏が描かれ月像の幢には蛙と兎と月桂樹が描かれています。中国には月に蛙(正確にはひきがえる)と兎が棲んでいるという伝承があるので、ここからも大陸の影響を受けていることがわかります。


さらにその外側には四神の旗が並びます。四神とは中国の神話に出てくる四つの方角をつかさどる霊獣で、いわゆる朱雀(すざく)・青龍(せいりゅう)・玄武(げんぶ)・白虎(びゃっこ)の旗です。

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そして、こちらが天皇の装束のレプリカです。

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ジオラマの中の天皇が着ています。これは「袞冕(こんべん)十二章」と呼ばれる装束です。

 

あれっと思われた方もいると思います。今回、令和の即位礼正殿の儀で使われた装束と違いますよね。実はこの「袞冕(こんべん)十二章」は平安時代から江戸時代まで使われた天皇の礼服ですが、大陸から輸入された服制のため時代の要請もあり明治天皇即位以降は日本風に改められています。



「袞冕(こんべん)十二章」袞(こん)袞衣(こんえ)からきています。袞(こん)とは首を傾げた龍のことで、その袞龍(こんりゅう)が衣の袖に縫い付けてあることから袞衣(こんえ)と呼ばれました。

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「袞冕(こんべん)十二章」冕(べん)冕冠(べんかん)に由来します。冕冠は板に玉すだれ状の飾りがついた冠です。この冠は奈良時代から使われており、正倉院には聖武天皇の着用した冕冠の部品が遺っているそうです。見たい!

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「袞冕(こんべん)十二章」十二章衣に刺繍された12種類のシンボルです。これらは『唐書』に書かれた聖王の象徴だそうです。下のパネルで12章が示されていました。

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実際のレプリカの刺繍。なんかかわいい。

北斗七星・龍。しっかり撮れなかったんですが両肩には日像・月像の幢と同じデザインの太陽と月が縫い付けてあります。

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雉と火。

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虎と猿。

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斧とふつ(己字を背反したもの)。

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こうして衣装や、祭具をみてみると、私は天皇制を日本神話を起源とした日本独自のものだと思っていたのですが、大陸文化の影響から生まれ独自の発展を遂げてきたものだということがわかりました。

 

ちなみに天皇という言葉も道教の考えに基づいた宇宙の中心である北極星を神格化した称号だとも言われています。天皇の称号が使われたのは天武天皇のころからと言われているので、その頃から皇族の祭祀に中国風のものが融合していったのではないでしょうか。その辺は今後の勉強の課題になりそうです。

今回のジオラマ展示で思いもよらず大陸文化の影響を知ることができ面白かったです。次回は明治以降、日本風に改められ、令和の即位礼正殿の儀でも使われた天皇・皇后の装束のレプリカをご紹介します!

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

 続きはこちら→装束展示②

 

相撲の起源は殺し合い!?

先日、東京国際フォーラムの「装束展示」のコーナーを見に行きました。色々なブースに分かれてジオラマが展示されており、その一つに「古代の相撲」が紹介されていました。そちらをまとめつつ自分でも調べてみましたのでご覧ください!

 

展示されていたジオラマはこちら。

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こちらが「相撲節会(すまいのせちえ)」のワンシーンです。

 

 

 

 

相撲節会(すまいのせちえ)とは?

734年聖武天皇天覧相撲(天皇の前で行われる相撲)を宮中で行い、それをきっかけに「相撲節会」という行事として宮中相撲が恒例化していったそうです。一時途絶えましたが、再開し高倉天皇1174年まで続くこととなりました。

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江戸時代に描かれた「相撲節会図(すまいのせちえず)」のパネルも展示されていました。ジオラマはこちらの資料などを参考に作られたようです。

 

玉座に座る天皇の前で相撲を取っているのがわかります。

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相撲節会図によると上の写真右上に座っている人たちは大臣や大納言などの殿上人(てんじょうびと)のようです。

 

この人たちです。

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観戦も偉いのでがっつきません。背を向けてます。BGMぐらいに思っているのかな?

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相撲節会は最初はその年の豊凶を占う神事だったり、宮中行事の余興だったようですが、徐々に武力訓練の一面が強くなっていきます。宮中の警備や要人警護の人達が参加し、全国からも相撲取りが推挙され集められました。

 

20組40名が左右に分かれて相撲を取りました。(時代によって違うようです。)

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畳んだ着物も再現されています。

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髪飾りがかわいい。

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ご覧の通り行事はおらず、進行係にあたる「立合(たちあわせ)」が左右から2名ずつでて付き添っただけでした。判定がつかない時は公卿たちで協議が行われ、最終的には天皇が決めたと言われています。

 

立ち合いは立った状態で、両者で息を合わせて始めたそうです。

 

勝負がつくと勝った方から舞人(まいびと)がでて、弓を用いた立合舞(たちあいのまい)が披露されました。

 

こちらは雅楽師達

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こちらが舞人

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 上の写真の舞人の衣装は実物大のものが展示されていました。

 

勝った時の舞には定番の舞があるようで、天皇から見て左手が勝った場合は「蘭陵王(らんりょうおう)」の舞が披露されました。これがその実物大の衣装です。

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この舞は中国の北斉(ほくせい/549~577)で、蘭陵(らんりょう)の王があまりにもイケメン過ぎて、戦場の兵士たちの士気が上がらなかったため、恐ろしい仮面をつけて戦ったところ大勝利し、そのことに喜んだ部下たちに作られたと伝えらえています。

 

天皇から見て右側が勝った場合は「納蘇利(なそり)」が披露されました。

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「納蘇利」は朝鮮半島から伝わった舞です。「蘭陵王」と対の舞となっており、雌雄の龍が遊び、天に上っていく姿を表しているそうです。

 

この2つの舞は相撲だけでなく、騎射(うまゆみ)など左右に分かれて競う競技で勝った時に演奏される勝負曲として使われたそうです。

 

 

宮中相撲の最古の記録

宮中で行われた相撲の最古の記録は「日本書紀」に記述されている、垂仁天皇7年(推定・紀元前23年)7月、野見宿禰(のみのすくね)当麻蹴速(たいまのけはや)が垂仁天皇の前で行った御前試合です。

 

こちらはその話を題材にした安本亀八(やすもとかめはち)作の『相撲生人形(すもういきにんぎょう)』の巨大パネルの展示です。

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野見宿禰が当麻蹴速を投げ飛ばそうとしています。鬼気迫る二人の顔や、強靭な筋肉はとてもリアルで、その場に居合わせてしまったような気持にさせます。

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『日本書紀』によると当麻蹴速(たいまのけはや)は強靭な肉体を持っていたため、「どこを探しても自分ほどの力を持つ人間がいない。何とかして強い人間と出会って、生死をかけた試合をしてみたい。」と周りに漏らしていました。それが垂仁(すいにん)天皇の耳に入り、だれかこれに勝てるものはいないのかと家臣に尋ねたところ「出雲に野見宿禰(のみのすくね)というすごい男がいます。」といったので野見宿禰を呼んで天皇の前で試合をさせました。二人はまず立ったまま蹴り合いをはじめ、野見宿禰は当麻蹴速のあばらを踏み砕きました。そして、彼の腰を踏み砕いて殺しました。   (参考:日本書紀上  宇治谷孟)

 

???これが相撲なのか・・・・

 

どうやら昔の相撲は文字通り「生死をかけた」素手の総合格闘技といったところだったようです。

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Wikipediaより転載

当麻蹴速と角力を取る野見宿禰 (月岡芳年『芳年武者无類』より)

 

この後、野見宿禰は褒美として当麻蹴速の土地を譲りうけ、そのまま天皇に仕えるのですが、この人にはもう一つエピソードがあります。

 

垂仁天皇の頃、高貴な人が亡くなり埋葬する際に、その人に仕えていた者たちも一緒に生き埋めにする習慣がありました。それを目の当たりにした垂仁天皇は心を痛め、野見宿禰に何とかならないかと相談したところ、野見宿禰は地元の出雲から人を呼び、土から人や馬を作らせそれを埋葬することを提案しました。垂仁天皇は「そういうこと!」と非常に喜んで土師(はじ)の姓を与えたと伝えられています。

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この土師氏(はじし)とは後の古墳時代に活躍する古墳づくりのプロ集団です。あくまで「日本書紀」によるとですが、野見宿禰が埴輪を発明し、後の古墳づくりのプロ集団・土師氏の祖になったということになります。力も強く、頭も切れるスーパーマンだったんですね。

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話しがそれてしまいましたが、以上が古代の相撲に関してわかったことでした。相撲の起源とまではいかないかもしれませんが、古代の相撲の形はわかってきたのではないでしょうか。そしてこうした相撲が、各地の神社における「神事相撲」、武士の鍛錬としての「武家相撲」、さらに今日まで続く民間の「勧進相撲(かんじんずもう)」と引き継がれていき、今日の大相撲の源流となっていったのです。

 

こうした相撲の歴史を知ると、テレビで目にする大相撲の見え方も変わってきますし、何より一度両国国技館で生の相撲を見てみたいと思いました。

 

長くなりました最後までご覧いただきありがとうございました!

過去最高にテンションが上がった日本3大弁財天・江島神社(えのしまじんじゃ)の歩き方② (神奈川県藤沢市)

前回のリンクはこちら→江島神社①

 

 

書ききれなかった前回の続きです。

 

 

 

 

鎌倉時代の弁財天像が見れる

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こちらは奉安殿八臂弁財天像(はっぴべんざいてん/国指定重要文化財)や妙音弁財天像(みょうおんべんざいてん)を見ることができます。(大人200円小人100円)

八臂(はっぴ)とは八本の腕の数を表しています。

写真のような小さなお堂に数点の宝物が置かれています。それほど興味のない方はこれだけ?って思うかもしれません・・・。個人的には八臂弁財天を拝みたかったので大満足です。

 

実物は撮影禁止でしたので看板の写真です。

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源頼朝は鎌倉幕府を開く折り、東北に強大な勢力を持っていた藤原秀衡(ふじわらひでひら)を倒すため、江島神社で戦勝祈願をしました。八臂弁財天その際、真言宗の僧・文覚上人(もんがくしょうにん)に命じて造らせたもので、二十一日間祈願させたと「吾妻鏡(あずまかがみ)」に記されています。江戸時代には勝運守護の神様として武家から庶民まで広く信仰を集めていたようです。

 

妙音弁財天鎌倉時代中期以降の傑作とされている全裸の弁財天像です。音楽芸能の上達を願う多くの人達からの信仰を集めています。写真は白とびしてますが結構艶めかしい造形です。

 

 

 

神紋は龍の鱗

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江島神社の社紋は「向い波の中の三つの鱗(うろこ)」です。北条家の家紋「三つ鱗」の伝説にちなみ考案されたもので、「三つ鱗」とは真ん中にある三角形の模様のことです。それに江の島に打ち付ける波のデザインを加えたのだと思います。

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『太平記』によると「三つ鱗」の伝説とは、1190年に鎌倉幕府を司った北条時政(ときまさ)が、子孫繁栄を願い岩屋にこもり祈願すると、満願の夜に弁財天が現れ時政の願いを叶えることを約束します。弁財天は大蛇となり海に消え、あとには三枚の鱗が残され、時政はこれを家紋にしたと伝えられているそうです。(参考:江島神社ホームページ)

 

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階段の手すりにも「三つ鱗」。

 

 

 

銭洗いの沼

ここの銭洗いはひと癖ありまして、あえて「沼」と表現させていただきました。それがこちら。

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白い像は弁財天と共に降りて来た白龍で、銭洗白龍王と呼ばれています。この像は以前は岩屋洞窟に祀られていたそうなのですが、近年こちらに移されてきたそうです。ところで普通の銭洗いと何か違うのをお気づきでしょうか。

 

こちらをご覧ください。

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賽銭箱のこの距離感。こういうの得意な人はいいですが、わたくしのような不器用な人間はいくら使うことになるのだろう。

 

下には敗れ去った戦士たちが。

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10円が5,6枚あったので挑戦。やった!と思ったら案の定、こんなことに。

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50円も2枚使ってダメ。でも、ここで帰ったらすごく縁起が悪いような気がしてやめられない。まさに沼。こんなところでこんな気持ちになろうとは思ってもいませんでした。後は100円玉と500円玉しかないといったところで集中力が増したのか何とか100円玉の一枚目で賽銭箱に入れることができました。

 

そしてしっかり銭洗い。欲や穢れを落として福を招きます。

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毎回欲が増していると思うのは気のせいでしょうか・・・。銭を洗うのも大事ですが、心がけも大切です。

 

 

 江の島のグルメ

 江の島と言えば生シラス丼。ですが、1月から3月までは禁漁期らしく釜揚げシラス丼しかありませんでした。釜揚げシラスじゃちょっと食べた気がしないなあと、何を食べようかさまよいます。どうやら、奥に行けば行くほど見晴らしの良い飲食店が並んでいたので、最初の参道の方でお店に入ってしまうより一回りした方がいいかもしれません。

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 よさげなレストランがあったので入りました。窓からの見晴らし。最高すぎました。

 

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神奈川のブランド牛・相州牛のビーフシチューをいただきました。(魚食えよとか言わないでください・・・。)

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ライスつけて2000円ちょっとしたような気がします。贅沢ですが、観光地ですし見晴らしのいい場所代も考えたら大満足です!(気分がそうさせたのかめちゃめちゃ美味しかったです。)

 

 

360度絶景撮影スポット

至るところに絶景スポットがあり、カメラのシャッターが止まりません。

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江島神社のお守り

こちらにも収集しているメタルカードのお守りがありました。勝運守りです。八臂弁財天のデザインもたまらないです。

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 今までのコレクションに興味のある方はカテゴリーのメタルカードお守りからご覧ください。

 

 

アクセス

最寄り駅は江ノ島電鉄「江ノ島駅」か、小田急江ノ島線の「片瀬江の島駅」どちらも歩いて20分くらいです。一応「湘南江の島駅」の前からバスは出ていますが景色がいいので歩いてもいいかもしれません。当然私はバスを使いました・・・。

 

 鎌倉駅から江ノ電に乗ったのですが、景色を見ているだけでウキウキしてしまいました。

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以上、江島神社レポートでした。終始「最高だな」と漏らしながら歩いていたら、不整脈で体調悪かったのですが、それ以来大分調子がよくなってしまいました。もしかして、即効でご利益があったのではないと嬉しくなってしまいました。今や弁財天贔屓です。皆さんもぜひ行ってみてください。おすすめです。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。

過去最高にテンションが上がった日本3大弁財天・江島神社(えのしまじんじゃ)の歩き方① (神奈川県藤沢市)

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 日本三大弁財天に数えられる江島神社。言わずと知れたおなじみの観光スポットです。落ち着いて参拝できそうにないなと敬遠していたのですが、行ってみてびっくり。思った通り観光客であふれていましたが、そんなの吹っ飛んでしまうくらい今までで一番テンションが上がった参拝になりました。

 

 

 

 

 

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上の写真の番号に対応して以下の社が置かれています。

 

①辺津宮(へつみや)

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②中津宮(なかつみや)

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③奥津宮(おくつみや)

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岩屋(いわや)の中にある本宮814年空海が、中津宮853年慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が創建し、辺津宮1206年慈覚上人良真(じかくしょうにんりょうしん)が源実朝(みなもとのさねとも)にお願いして創建したと伝えられます。奥津宮は岩屋に海水が入り込んでしまう4月から10月まで本宮の御本尊が移された場所で、創建は不明ですが1600年頃と考えられているそうです。

 

現在岩屋内には神様は祀られていません

 

順路で行くとと①②③の順で社を周ることになるのですが江の島は私が思っていた3倍高低差があり10倍の面積がありました。テレビで見ると遠景だったりするのでなんとなく見渡せるくらいの小さい島かと思ってましたが、とんでもない。大人でも一回りするとかなり疲れる広さです。

 

 

 

 

 

エスカー(有料エスカレーター)とべんてん丸(遊覧船)について

江島は山になっていて高低差がかなりあります。奥津宮のさらに奥にある岩屋(いわや)まで行くと、上ったり下ったりを繰り返し結構しんどいです。

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そのため、お子さんや年配の方でも参拝できるように「エスカー」という有料エスカレーターが用意されています。参拝ポイントから参拝ポイントまでをつなぐ3区間をエスカレーターであがることができます。エスカーの高低差が46mというのでマンションで例えて言うと16階まで自分の足で階段で上がるか、エスカー料金(大人360円小人180円)を払って楽をするか選択できると考えてみてください。歩く距離も最初の鳥居から岩屋(いわや)まで片道でおよそ1.5キロほどあるので体力に自信のない方、汗かきたくない方はエスカーの使用がおすすめです。(ちなみに使えるのは上りだけです。)

 

さらに、岩屋まで行ってみて「駅まで戻るのしんどいくて無理」という方は岩屋の近くから遊覧船(べんてん丸/大人400円小人200円)で江の島の入り口まで戻ることが可能です。ただ不定期便で天候が悪いと運航しないので確実に乗りたい場合は藤沢市観光センターに当日の午前10時頃に確認が必要です。詳細はこちら→藤沢市観光公式ホームページ

 

 

 

御祭神

江島神社には3つの中心的な社があり、それぞれ宗像三女神(むなかたさんじょしん)が一柱ずつ祀られています。宗像三女神は「誓約(うけい)」の神話でアマテラスがスサノオの十拳剣(とつかのつるぎ)を噛み砕いて吹き出した息から生まれた神様で一般に航海の安全交通安全をつかさどる道の神とされています。

 

辺津宮(へつみや)田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)

中津宮(なかつみや)市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)

奥津宮(おくつみや)多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)

 

の三柱で、この女神たちの総本社は福岡県宗像市の宗像大社です。他にも広島県の厳島(いつくしま)神社でも祀られていることが有名です。三姉妹の神様で文献によって違いますが「古事記」では③タギリヒメが長女、②イチキシマヒメが次女、①タギツヒメが三女とされています。イチキシマヒメは神仏習合では弁財天と同一神とされています。

 

 

 

神社の由来

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今の御祭神はどうやら後から移してきたもののようで、神社の由来とは直接は関係ないようです。

 

 神社の由緒書きによると神社の始まりには諸説あるようですが、平安時代中期に書かれた「江島縁起(えのしまえんぎ)」という書物によると、552年の4月12日~23日の朝まで大地が振動し、突如江の島が現れ、その時天女(弁財天)十五童子(じゅうごどうじ)白龍を従え、江の島に降りたったとされています。そして当時の天皇(欽明天皇)の勅命により江の島の岩屋(いわや)に神様を祀ったのが江島神社の始まりと伝えられます。(地質学的には7~8万年前に海底が隆起したものと考えられています。どちらを信じるかは個人の自由です・・・。)

 

上の写真は階段の途中に奉納されていた石像で、岩屋に降り立った弁財天十五童子白龍を表しています。

 

 

 

岩屋の中には江島神社・発祥の地がある

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こちらは岩屋(いわや)に向かう橋です。岩屋は海水の浸食によってできた洞窟で、700年役行者(えんのぎょうじゃ)が霊場を開き、その後、弘法大師・空海日蓮上人など多く名だたる高僧が修行された場所です。鎌倉時代には源頼朝北条時政が籠って祈願したとも伝えられています。

 

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ロウソクの行燈を渡され薄暗い中を進みます。

 

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低い所もあるのでかがみながら進むところもあります。

 

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所々に石仏が置かれています。おそらくどれもかなり古い貴重なものなのでしょう、透明のアクリル板のようなものでガードされています。

 

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左下に見える細長い石は自然の浸食ですが、日蓮上人の寝姿石と呼ばれています。

 

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こちらは江島神社発祥の場所です。今は何も祀られていないようですが、思わず手を合わせてしまいました。

 

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一度外に出て第二岩屋に入ります。

 

 

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こちらはイルミネーションで飾られていました。

 

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竜のモニュメントが飾られていました。江の島は2017年の台風の高潮の影響で大きな被害を受けたそうで、ネットで見かける岩屋の龍神像と違ったので、その時、流されてしまい新しい物を作り直したのかもしれません。

 

岩屋は安全のため天候によっては入れないこともあるようです。入場料は大人500円小人200円でした。

(今まで記載してきた料金はすべて2020年1月時点の金額です。)

 

 

続き→江島神社②  社宝、銭洗いやグルメもあります!

 

有名銭洗い6社で洗った1万円でロト6を買ってみた。その結果・・・。

誰でも一度は銭洗いしたら試したくなる宝くじ

 

6つの神社で銭洗いをして、そこで引いたおみくじ番号に合わせてロト6を買ったらどうなるだろう。そんな思いに駆られ、正月旅行を利用し銭洗いで6社を巡ってみました。

 

洗ったお金を使えば何倍にもなって返ってくると伝えられる銭洗い。6回洗えばどれだけご利益あるのだろうとワクワクしてきました!

 

ロト6は1~43までの数字を6つ選んで一致する数字が多いほど賞金が高くなる宝くじです。一口200円で数字が最低3つ一致すれば1000円が当たります。ということは一万円分買えば、最低賞金5万円!一等賞金は当選口数によって変動しますが平均2億円で、最大6億円です。

 

夢がある!

 

銭洗いをできる場所はいくつかありますが神様は一柱の方がいいと思い、弁財天様の銭洗いを探しました。

 

諭吉先生は毎回同じものを洗うことにしました。

 

まずは自分とのあった三社。

 

よく散歩で訪れ、宇賀神様を知るきっかけにもなった

①井の頭弁財天(東京都三鷹市)

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 まずは37番

 

 


東京の金運パワースポット。舟に乗った舟乗弁財天でおなじみ

②小網神社(東京都中央区)

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 1番!

 

 



芸能人パワー漂う

③豊川稲荷東京別院(東京都港区)

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35番

以上の三社は何度かいったことのある好きな神社です。

 

 

 

 

あとの3つは有名パワースポットからチョイスしました。

 

鎌倉のパワースポットで銭洗いと言えばまず出てくる神社。

④宇賀福弁財天(神奈川県鎌倉市)

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 えっ。43以上もあるの・・・。

じゃあ43から2週目のカウントということで48-43で

5番!

 

 

 

日本三大弁財天のひとつ。

⑤江の島弁財天(神奈川県藤沢市)

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 14番!

 

 

 

西東京のパワースポットで天狗の住む霊山

⑥高尾山薬王院(東京都八王子市)

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ここで大きなミス。ここは銭洗いポイントが2つあり、弁財天様で統一したかったのですが八大龍王の方で銭洗いをしてしまいました。わかりにくい所にあって気づかなかった・・・。まあ、源泉は一緒だろうからよしとします・・・。

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86って。一体何番まであるんだ・・・。

さっきのルールで86-43で

43番!

 

ここまでくると濡れた諭吉先生はかなりよれよれになってしまいました。

 

 

帰宅後、早速チャンスセンターに行ってロト6を購入。

 

長旅を共にし、すっかり愛着の湧いてしまった諭吉先生を手放します。

さようなら。

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そして1万円分、50口を購入!

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 一つ一つの数字に旅の思い出がよみがえります。

 

 

 

 

 

そして・・・

 

 

 

 

 

抽選日の1月9日

ご鎮守の弁財天様にも手を合わせて準備万端。

1月9日はちょうど満月

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満月の日と新月の日は願いが届きやすいと言われています

 

全て億万長者へおぜん立ては整いました。

 

 

そして待ちに待った19:00になりパソコンで当選番号を確認。

結果は!

 

 

 

 

 

3!

 

 

 

 

 

 

2!

 

 

 

 

 

1!

 

 

 

 

 

ゼロ!

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当選金もゼロ!

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ですよねー(*´Д`)

ですよねー(*´Д`)

ですよねー(*´Д`)

 

 

ということで伝えたいこと。

 

・銭洗いとはお金を洗って自分の欲や穢れを落とし、福を呼び込む習わしです。決してギャンブルで勝つためにあるわけではありません

 

・薬王院の説明書きにも書いてあったんですが、洗ったお金は財布にしまい稼業に精進しなさいと書いてありました。自分の仕事を頑張りましょう

 

・とは言いつつ、ご利益にはタイムラグのある可能性もあので、がっかりせずにハッピーに過ごしましょう!

 

といったとことでしょうか。宝くじは収益金の40%が公共事業や福祉に使われているそうなので寄付したと思えばあの諭吉先生も成仏できます。ありがとう諭吉先生。

 

 

 

 

 

でもちょっとだけ悔しいので、一縷の望みをかけなんの脈絡もなく人生ではまったもののアフィリエイトを無駄に貼っておきます。

 

小学生の時にはまったショートショートの神様・星新一。短編集「ボッコちゃん」。難しいこと考えずに読めて、面白くて止まらない。

 

難しいのは途中で放棄してしまう自分でも、北方謙三の「三国志」止まらなかったなあ。

1巻(全13巻)

 

止まらないで言ったら、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」も止まらなかった。

1巻(全8巻)

 

 太宰治は暗くないやつもめちゃめちゃ面白い。はまった。

女生徒」と「御伽草子

 

キングダムはアニメにはまったなあ。

 

これは人生で一番感動した商品。朝ぬっとけば夏どんなに汗かいても一日無臭でいられる。部活やってた学生時代の時にもこれあったら、どんなに幸せだっただろうと思う。あの頃のエイトフォーとか逆に芳香剤で臭くなるだけだった。

デュオナチュレ

 これだけアフィリエイト貼れば悔いはないです。

ありがとうございました。

すっきりした。

 

 

 

 

 

そういえば年末ジャンボ10枚も買ってたわ。

もう300円でもへこまないから大丈夫ですよと思いつつ換金。

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こっちで当たるんかい!

 

 

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おかえりなさい!諭吉先生!(別人)